虹の橋~「こねこはらっぱ」という名前

こんにちは、ママです。パパ、ママとゾーイとウーゴは毎日とっても幸せに暮らしています。でも、ママは時々不安になるんです。大好きなゾーイとウーゴが突然この世からいなくなってしまうのではないかと思って。だから、何かあったらすぐに獣医さんに駆け込めるように二人の様子はいつも見ているし、何も起きないように、ゴミやひも類、人間のお薬や食べ物をこまめに片付けたり窓や網戸を確実に閉めたりして、危ないことがないようにしています。

楽しい日々だけれど、時間は確実に過ぎていきます。それは、幸せな毎日がどんなに長く続いても、辛いお別れはいつか必ずやってくるということ。その日が来るのはとても怖いけれど、後悔しないように、そして、何気ない、楽しい日を一日でも多く過ごせるように、ママは一生懸命二人のお世話をしています。

「はじめまして!」の記事にも書きましたが、このブログを始めたきっかけは、ママがゾーイの年齢を間違えていたことに気づいたことです。5歳になると思っていたけれど本当は4歳になるんだと気づいたとき、とてもほっとしたし、これからどんな瞬間も大切にして暮らしていこうと思いました。

ママは子どもの頃にシャム猫を飼っていました。いつも爪や歯を立てられて腕は傷だらけ、歩いていると足を狩られるし、困ったところもあったけれど、とても甘えん坊で、よくおしゃべりをしてくれる男の子でした。15歳まで生きてくれましたが、最後は腎臓病を患って目も見えなくなってしまいました。目が見えなくなってからは、子猫の頃からのお気に入りの座椅子に座って、不安になると鳴いてママを呼びました。ママはできる限りそばにいましたが、お別れが刻々と近づいているのが分かり、とても辛い時間でした。思い出すと今でも胸が締め付けられます。

その子が死んでしまった時、ママは「お星様になった」と思いました。悲しくて悲しくて、それから1年くらいは、流れ星がよく見える海岸へ車を走らせ、流れる涙も拭かずに星空を見上げていました。どのお星様がその子なのかな、とずっと見ていました。もしかしたら、神様から天使の羽根をもらって夜空をパタパタと飛び回って、「ほら、ぼく全然苦しくないよ。だからもう悲しまないで。」と言ってくれていたかもしれません。

一年ほど前、「虹の橋」という原作者不詳の詩に出会いました。死んでしまったペットは虹の橋のたもとで飼い主さんを待っていて、一緒に虹の橋を渡っていく、というものです。虹の橋のたもとには草原が広がっていて、ペットたちはもう病気や怪我で苦しむこともなく、おいしいごはんをたくさん食べ、みんなで元気に遊んでいます。遊んでいる中でも飼い主さんを恋しく思ってくれていて、はるか遠くに現れた人影を見つけると、ふと立ち止まります。やってくるのが大好きな飼い主さんと分かると、目をキラキラさせて草原を駆け抜け、飼い主さんと抱き合って再会を喜び、一緒に虹の橋を渡っていくんだそうです。

この詩は3つに分かれていて、第二部では、生きている間に愛してくれる誰かに会えず辛い思いをした動物が、橋のたもとで同じくひとりぼっちだった人と出会い、お互いが「大切な誰か」となって、一緒に橋を渡っていきます。第三部(これは芝山弓子さんという方の作だそうです)では、飼い主さんの悲しみが癒えずに涙の雨が降っている、けれど、そんな飼い主さんが心配で、「いつまでも悲しまないで」とペットが言っています。この「虹の橋」の詩、タイトルだけ見た時は、死んでしまったペットが一人で虹の橋を渡っていくお話かと思い、その孤独さに胸を突かれるような気持ちがしましたが、この詩を読んで、家族と再会して一緒に橋を渡っていくんだと知って、なんだか救われた気がしたのを覚えています。

パパ、ママとゾーイとウーゴの家族ユニットは、「こねこはらっぱ」といいます。このユニット名は、ブログを始める前にパパがつけてくれました。はじめは「“天使猫”なんてどう?」と言ったのですが、パパが、「天使といったらゾーイとウーゴが天に昇っていく、つまり死んでしまうことを連想してしまう。そんなのは僕は嫌だ。」といい、代わりに「こねこはらっぱ」と名付けてくれました。パパも「虹の橋」の詩の概要は知っています。それにちなんだかどうかは分かりませんが、草が風にそよぐ「はらっぱ」は絶対に安全な場所で、猫も人も幸せになれるシンボルとしてとらえたのでしょう。

ママは「こねこはらっぱ」と聞いたとき、すぐにこの「虹の橋」の詩を思い出しました。ゾーイとウーゴが寿命を終えて悲しいお別れが来たとしても、明るく楽しい虹の橋のたもとで遊びながら、パパとママが来るのを待っていてくれる。二人が草原-「こねこはらっぱ」を駆け抜けて、パパとママに飛びついて抱きしめ合う瞬間を想像し、家族4人を表すとてもいいユニット名だと思いました。

大好きなゾーイとウーゴがお星様になったり一人で虹の橋を渡ったりするところを想像するのは、耐えられない。それはきっと、死者はひとりぼっち、死がすべてを奪い去ると思ってしまうからだと思います。でも、「虹の橋」の詩では、死は辛いものではあるけれど、死が何かを奪い去った後には永遠に続く思い(愛)が残るということを詩っていると思います。そしてそれを「救い」というのだと思うんです。

こんなこと言っても、いざお別れの場になったら心が張り裂けそうになって、とてもそんな風には思えないだろうな、ということも分かっています。だからこそ、その時が来たらその混乱した気持ちも引き受ける覚悟をもって、パパとママは、ゾーイ、ウーゴというこのかけがえのない存在と一緒に暮らしています。もちろん、毎日二人との死別に恐怖して暮らしているわけではありません。マイナスを埋めるのではなく、プラスを積み上げていくように暮らしていく中で、揺らぐことのない愛にあふれた「はらっぱ」という安全地帯を心の中に作っていきたいと思っているんです。

「こねこはらっぱ」というユニット名は、こんな経緯でつけられました。これからも引き続き、我が家の猫と人が作る心豊かな生活を紹介していきます。ペットを飼っている多くの方にも同じように、毎日の幸せを感じてもらえるように。