こんにちは、ママです。お家の猫ちゃんは、元気に暮らしていますか?まだまだ小さくてやんちゃな子、大人になって落ち着いた遊びをするようになった子、すっかりおじいちゃん、おばあちゃんになってヨタヨタし始めた子、どの子もみんなかわいい我が子ですよね。また、保護した子、もらった子、ペットショップで出会った子、時々挨拶するだけの地域の子、どんな出会い方でも、どの子も唯一無二の存在です。飼い主さんたちは、一日一日を無心でその子たちと一緒に生きていると思います。
でも、いつかは別れが来る。その辛い別れの前に、できる限りのことをしてあげたい。元気な姿、年老いた姿をすべて、目に焼き付けておきたい。一日一日を大切に暮らしたい。そう思うのは、どの飼い主さんでも共通なのだと、ママは信じています。
今回は「くぅとしの」の紹介です。この本とは、出版されたばかりの頃、インターネットの記事で出会いました。普段はいろいろな飼い主さんの、あるいは飼い主さんを取材した人のインターネットの記事を見て、猫ちゃんたちの愛くるしさや真剣さに笑ったり、飼い主さんの工夫に勉強させてもらったりしています。でも、この本の記事を読んだときに、ぜひ手元に置いておきたいと思ったんです。
「くぅとしの」は、認知症にかかってしまったおばあちゃん犬のしのちゃんを、サービス精神旺盛で末っ子気質の男の子、くぅちゃんが介護する様子を、たくさんの写真とともに紹介しています。きっかけは、徘徊するようになってしまったしのちゃんをくぅちゃんが付き添って歩いたことだということです。それ以来、くぅちゃんはしのちゃんの介護担当に。
二人の出会いは、くぅちゃんがしのちゃんへ一目惚れしたこと。でも、しばらくは一方通行だったそうです。我が家のゾーイとウーゴも、こんな感じでした。家に来たばかりのウーゴは、しばらく別の部屋で過ごしていました。ゾーイは、ウーゴが気になって気になって仕方なかったのですが、いざケージ越しに対面すると、ウーゴの方が仲良くしたがって、ゾーイはウーゴのことを受け入れられませんでした。今でこそ仲良くなれましたが、当時は同じような一方通行。見ているこちらは、見かけ冷静さを保っていたものの、内心ヤキモキしたものでした。
少しずつ、しのちゃんの心の動きに合わせて真剣にアプローチしたくぅちゃんの念願叶って、しのちゃんと仲良くなることができました。その時期の写真は、二人とも穏やかな、でもどこか嬉しさを隠せないような愛らしい表情(とくにくぅちゃん)のものが多いです。茶柴で白いお顔と黒い濡れたような瞳が魅力的なしのちゃんと、耳の根元と尻尾が黒くてかわいい、白猫のくぅちゃん、お日様が当たって気持ちよさそうなお部屋で寄り添って眠ったり、飼い主の晴さんに「お写真撮って~」といわんばかりにいい笑顔を並べたり。何でもない、でも愛と幸せに包まれた一日が、積み重なっていきます。
しのちゃんの認知機能の衰えは、静かにやってきたようです。でも、くぅちゃんと晴さんは見逃しませんでした。運動機能の衰えと食事の変化。大好きな散歩も苦手になってしまっていったようです。耳が聞こえづらくなって、嫌いな雷が鳴ってもスヤスヤ眠れるようになったのは、ちょっといいことだったかも。願わくば時間が止まってほしいと思う飼い主さんもいると思いますが、晴さんは「手がかかるようになっていきましたが、その分、愛しさも増していきました。」と、しのちゃんのあるがままを受け止めます。
ママが子どもの頃飼っていたシャム猫ちゃんが腎臓病でもう長くないと診断されたとき、注射をすれば元気になる、腎臓病なんかどこかに行ってしまう、と自分に言い聞かせていました。小学生の頃から15年間ずっと一緒、楽しい思い出はたくさんありましたが、辛いときにも慰めてくれた恩人です。ママはきっと事実を受け入れられていなかったんだと思います。でも、本当は、分かっていました。
事実を受け入れ、覚悟を決めたのは、注射をしてもよくならず、これ以上嫌いな動物病院に連れて行って辛い思いをさせたくないと思うようになってからでした。間もなく目が見えなくなり、お気に入りの座椅子に座って、寂しくなると鳴いてママを呼びました。そばに行って頭を撫でて上げると、弱々しく喉をゴロゴロと鳴らしてくれました。また、それまでは、いつも好きだったウェットフードをスプーンですくい、口元に持って行ってあげると食べてくれましたが、その頃には何も食べなくなりました。しのちゃんの衰えと、その頃のママの気持ちが交錯します。
飼い主の晴さんは、しのちゃんが快適に過ごせるように工夫した点を、たくさん写真に載せています。くぅちゃんがしのちゃんを介護したきっかけやくぅちゃんの介護ぶりなどが、よく分かります。くぅちゃんは、しのちゃんに体を寄せ、頭やおしりを使ってしのちゃんの頭を支えたり、誘導したりしました。力の抜き方も覚えていって、介護も「匠の技」になってきたそうです。また、しのちゃんのためにサークルを作り、改良を重ねて、危なくなく、居心地のいいものにしていったということです。
サークルの中でもくぅちゃんはしのちゃんに甘え、介護し、ラブラブです。お鼻でチューしている写真もあります。しのちゃんは幸せ者。でも、きっとしのちゃんと一緒にいられるくぅちゃんも幸せだと思います。もちろん、そんな二人のシーンを切り取り続ける晴さんも。いつかやってくる別れの悲しさを、多くの写真が包み込み、何でもないひとときとしてとどめています。切ないけれど、穏やかなひとときです。
「くぅとしの」の中でママが好きな写真はいろいろあります。二人で顔をくっつけて眠っている写真、お花の冠を載せられたしのちゃんの朗らかな笑顔、しのちゃんを上手に支えているくぅちゃんの「エッヘン」という顔・・・。何よりも、日だまりで、二人が鼻筋をぴったりくっつけてじっとしている写真を見たとき、ママは涙があふれて止まらなくなってしまいました。「このまま時が止まってくれたらよかったのに」と、心から思いました。
自分の子じゃないのに、どうしてそう思ったんだろう。それは、きっと、くぅちゃんとしのちゃんが「無心」だからなのかもしれません。我が家にも、そばで一生懸命眠っているゾーイやナデナデを心から堪能しているウーゴがいます。そんな二人は、ただ眠り、堪能している。その情景は、とても美しいと思います。また、無心な姿は普遍的でもあります。だから、くぅちゃんとしのちゃんは、昔そばにいてくれたシャム猫ちゃんであり、ゾーイとウーゴなんです。
普遍的であるということは、永遠であるということ。だからもしかしたら、時よ止まれと願わなくても、切り取った情景は、永遠にそこに存在しているのではないか、とも思うんです。晴さんの中に、ママの中に、すべての人と動物の中に、永遠に。晴さんは、それを分かっている方なのかもしれません。
くぅちゃんとしのちゃんの美しい写真をたくさん見せてくれて、ありがとう。ママに大切なことを気付かせてくれて、ありがとう。きっと、他の読者の方も、改めて気付くことができるのではないかと思います。なんてことない穏やかな一日が尊いことに。
もしよかったら、「虹の橋~「こねこはらっぱ」という名前」も読んでみてください。また、晴さんのツイッターはこちら。
書籍情報
くぅとしの 晴 辰巳出版 2019年