猫たちへの鎮魂歌

こんにちは、ママです。もうすぐクリスマスですね。それが終わると、お正月。毎年この時期には、ママは思い出すことがあります。そう、道ばたで、車に轢かれてしまった猫たちのこと。

ママはこれまでに2回、車に轢かれてしまった猫を助けたことがあります。といっても、どちらの子も、残念ながら命は助かりませんでした。初めは白地にキジトラのブチがある子猫、2回目は茶トラの大人の子でした。

ゾーイが家に来て間もない、年明けのある日、ママは外出先から帰宅するところでした。かわいいゾーイが家で待ってる、早く帰って遊びたいなとルンルン気分で車を運転していました。緩やかな「くの字カーブ」を過ぎて左へ曲がれば、家に着く・・・。

「くの字カーブ」のすぐ先には、何か小さいものが落ちていました。ママは少しスピードを緩めて、それをよけようとしました。と、ママの胸はドキリとしました。子猫が横たわっていたのです。大変だ、轢かれちゃう。すぐに停車できなかったので、少し先でUターンして戻り、反対車線で車を停めました。戻ってくる間も、ルームミラーで状況を確認しました。早くしないと、車に轢かれちゃう、早く戻らないと・・・。

その場所は、工場が建ち並ぶ地域で、大きなトラックが行き交う場所でした。幸い、週末のお昼時で車があまり通らなかったので、ママが戻るまでにその子が車に轢かれることはありませんでした。ママは駆け寄り、抱き上げようとしました。

「ああっ・・・!!」、その子の体はぐんにゃりとして、もう命はないことが分かりました。二ヶ月齢くらいの子に見えました。かわいそうに、遊んでいたのか、ママ猫やきょうだいを追いかけようとしたのか分かりませんが、小さな体は、かなりスピードが出ている車にぶつかったのだと物語っていました。

これ以上轢かれないように、とりあえずその子を両手でそっと持って歩道に移し、万に一つの望みがないか、しゃがんで改めて様子を見ました。一目見て分かってはいましたが、それでも何とか助けられないか、と祈る気持ちで様子を見たのです。手にちょっと血がつきましたが、今は気にしていられません。でも、その子はしんとして静まったままでした。しばらくの後、ママはその子に手を合わせました。

家に戻る間、悲しくて、鼻の奥がツンとしてきました。でも、ママは泣かずにゾーイの元へ戻りました。家に帰って手を洗い、寄ってきたゾーイに話しかけました。「今、あなたと同じくらいちっちゃな子が、天国へ行っちゃったの。だから、一緒にお祈りしよう。その子が天国で幸せに暮らせますように。」ゾーイを膝に乗せ、二人で手を合わせました。ママの目からこらえきれず涙が流れましたが、その涙も祈りになってほしいと思いました。

そうだ、あの子の体を隠してあげなきゃ。ママは急いで段ボール箱を見繕って、「くの字カーブ」へ戻りました。箱を探すのに少し手間取りましたが、戻ってみるともう、その子は箱に入って、同じ場所に眠っていました。その子の体よりも大分大きな段ボール箱でした。もしかしたら、さっきスピードを緩めて通り過ぎていった車の人かもしれないな、と思いました。どなたか分からないけど、ありがとう。

週明け、ママは役所の動物管理担当の部署へ電話をし、その子を引き取ってもらうようお願いしました。でも、その電話は、ママをちょっと悲しくさせました。場所を何度も聞かれたあげく、引き取りに来たのは5日後のことだったのです。死んでしまったその子がずっと放っておかれたのがかわいそうで、とても辛い気持ちになりました。担当の方から見れば仕事の一つもしれませんが、この子の命です。でも、ママもこれ以上のことはできない・・・。大きなジレンマでした。

その数年後パパと一緒に助けた茶トラの子は、たまたまその近所の方が見かけて「後はこちらでやるからいいよ」と言ってくださったので、お願いしました。その子は、パパとママが車から降りて歩道に助け上げた後、息を引き取りました。その近所の方は、「この子はずっとこの辺に住んでいた子で、今日も道を渡っていたから、車に気をつけなさいよ、と言ったたばかりだったんですよ」と言っていました。ああ、動物と言葉が交わせれば!

その方は、こうして命を落とした猫を何匹も見送っているということでした。役所の担当部署はやはり前向きではないようで、今では、真剣に向き合ってくれる担当の方一人と携帯で直接やりとりをして、何日も待たせることなく見送っているそうです。「こんなことを続けていると、すぐそこの○○に猫が死んでいたよ、なんて言ってくる人もいるんですよ」と、その方は嘆いていました。

地域猫は、自分の猫じゃない。でも、同じ命。だからこそママだってジレンマを感じたのですが、地域猫であっても、自分が出会った死には、最後まで向き合ってあげたい。せめて見送るところまでちゃんとしてあげたいと思うのです。でも、そう思わない人がいることも事実。だから、その近所の方には、本当に頭が下がります。

昨日、パパとこのことを話しました。パパは、助けたその茶トラの子の感触をはっきりと覚えていると言いました。ママも、覚えています。茶トラの子の固くなってくる体や、子猫の体内でバラバラになっていた骨の感触。その感触に絶望を覚えたこと。覚えていてあげることが、せめてもの供養だと思います。

だから、ママは、子猫が倒れていた「くの字カーブ」を通る時、茶トラの子が倒れていた神社の前の道を通る時、必ず心の中でお祈りしています。「あなたのこと、覚えているよ」と話しかけています。これからも、このお祈りをやめるつもりはありません。

「ねえ、子猫ちゃん、茶トラちゃん、あれから元気で暮らしてる?もうお体痛くない?虹の橋のたもとのはらっぱで、いっぱい遊んでる?おいしいご飯をたくさん食べて、幸せに暮らしてね。ママはあなたたちのこと、ずっと忘れないからね。」