こんにちは、ママです。ウーゴが寝ています。寝ているのは、コーヒーテーブルの中。ゾーイとウーゴのクリスマスプレゼントに、昨年末に買ったものです。テーブル面はガラス、中は猫ベッドになっていて、くつろいだり寝たりしているところを見ることができるんです。今は、慣れてもらうために、上はテーブルクロスで覆っています。
部屋の下の方が空気が冷たいようで、あまり使っていないのですが、ゾーイもウーゴも気が向いた時に入ります。二人とも秘密基地に入ったようになっているんでしょうか、キャットタワーのハンモックで寝ている時とはちょっと様子が違うんです。かわいい♡寒い冬が過ぎて暖かくなったらもっと使ってくれるのではないかと期待しています。
さて、今回は、映画「ボブという名の猫 幸せのハイタッチ」の紹介です。これは、路上生活の男の人の、実話に基づく物語です。
映画はまず、主人公ジェームズが路上でギター片手に歌を歌っているシーンから始まります。お金を入れてもらうものをそばにおいていても誰もお金を入れてくれず、身にしみついてしまったにおいから通行人に避けられてしまいます。家族からも疎まれ、クリスマス・ディナーにも呼ばれません。
ゴミ箱から食べれる匂いのものを探して食べるのですが、その足元にはネズミが走り回っていて、希望も何もあったものではありません。ジェームズの表情も暗く、歌もどことなくせっぱつまって聞こえます。
薬物中毒のジェームズは薬物中毒更生プログラムを受けていますが、生活基盤がなく、簡単に薬物を繰り返してしまいます。ジェームズは路上で、「諦めるな」と繰り返し歌います。聞く人の胸に響かせてお金をもらうために歌っていますが、「諦めるな」とは自分に言っているようにしか聞こえず、切なさが募ります。
以前、イギリスのテート・ギャラリーで、ジョージ・ワッツという画家の「Hope(希望)」という絵を見たことがあります。その絵は目隠しされた少女が球体の上に座っていて、竪琴をつま弾いているというもの。でも、その竪琴には、弦がすべて切れてしまって、一本しか残っていません。
この弦が切れてしまったら、「絶望」。「せめてこの弦だけは」と残った一本の弦をつま弾いて、少女は一生懸命その音を聞いています。これが、「希望」。「希望に満ちる」という言葉がありますが、「希望」とは、輝かしい未来に期待を膨らませて、というものではなく、本当はこういったものなのかもしれません。ジェームズの歌を聴いて、この「Hope(希望)」の絵を思い出しました。
ちなみに、今は、テート・ギャラリーがリニューアルした美術館テート・ブリテンに所蔵されています。もう展示室から収蔵庫に移されてしまったでしょうか・・・。
ジェームズは、ソーシャルワーカーの助けで、住むところを手に入れます。「彼にとってはこれが最後のチャンスなのでは」とソーシャルワーカーは思ったのです。ジェームズの「最後の弦」は切れることなく、かろうじて音を奏でています。
蛇口をひねればお湯が出る。そんな当たり前のことも、ジェームズには夢のよう。ジェームズは、住むところと一緒に猫も手に入れます。シャワーを浴びていたら突然物音がして、ジェームズはおびえます。泥棒か?「銃を持っているぞ」と声をかけ、ハイカットの靴を逆さに持ってお風呂場から出てきます。
やだ、この人変なことしてる。薬物中毒の幻覚かしら?何も知らないママは心配になります。でも、いらぬ心配でした。音の主は、茶トラの猫。とてもおとなしく、キッチンのカウンターにうずくまっていました。飼い主を探しても見つからない。ジェームズは、この猫をボブと名前を付けて一緒に暮らし始めます。
ボブと一緒に路上へ出かけて行って歌を歌うと、人々が足を止めます。かわいい猫ね、とお金を置いて行ってくれる人も増えました。ダブルデッカーに乗れば、リード代わりのひもを車掌さんからもらいます。さすが、動物愛護の国イギリスですね。おかげで、食べ物を買うこともできるようになりました。
けがをしていたボブを無料で診察してくれる動物福祉病院へ連れて行ったり、去勢手術を受けさせたり、とボブと暮らすうえで必要なことを、一つ一つ済ませていきます。稼いだお金でハーネスを買い、肩に載せて移動するようになったジェームズに、行きかう人が声をかけます。ジェームズの顔も、見違えるくらいに明るくなってきました。明るく「きよしこの夜」を歌うジェームズの背後には、バスカー通り。大道芸人(バスカー)の集まるこの場所は、ボブと出会ったジェームズの充実した日々を代弁して余りありません。
そんな中、出会いもありました。ベティは同じアパートに住む動物好きの女性。ボブをきっかけに、友達になります。ベティのお兄さんは薬物中毒で亡くなっています。お兄さんの生きた証を失いたくないベティは、お兄さんの住んでいたアパートに住んで、お兄さんの息遣いを感じながら生きているのです。みんな、それぞれに生きている・・・。
薬物中毒更生プログラムは、別の薬物を与えて中毒を解消しようとするものですが、ジェームズはみじめな死に方をしたくないと、完全に薬を断つことをソーシャルワーカーに相談します。でも、クリスマスの時期は気分が不安定になりやすいと、諌められます。きっと、家族の支えがないと難しいのでしょう。
トラブルにあい路上で歌うことを禁止されたジェームズは、自立支援のプログラムに参加し、雑誌配りを始めます。ここでも、「一本の弦」でつながれました。雑誌を買い取って道行く人に売る仕事。でも、ボブがいれば怖いものはありません。ジェームズの「一本の弦」は、住まいや仕事ではなく、ボブなんです。新聞社にも取材され、順調に自立への道を行くかに見えました。
しかしそんな時、さらなるトラブルで、ボブが逃げ出してしまいます。錯乱せんばかりにボブを探し回るジェームズ。通り過ぎたベンチの上に、ボブとジェームズの記事が載った新聞がむなしく置かれています。家に帰ってみても、ボブは帰っていません。
このことで、ジェームズはボブがどんなに大きな存在だったかに気づきます。そして、ある決断をします・・・。
ジェームズの「希望の弦」は、音を紡ぎ続けるのでしょうか?ジェームズは、根が明るい人です。どん底の生活を送っていても、人に対するまなざしはどこまでも優しい。このまなざしを、児童文学作家の灰谷健次郎は「楽観性」と言いました。どん底を味わってもひねることなく、受け入れ、許し、愛に満ち溢れていることです。「楽観性」を持つジェームズとボブとの暮らし、どうか、誰も邪魔しませんように。どうか、幸せになってもらえますように。どうか、ジェームズに、愛を与える使命を全うさせてもらえますように。
この映画、続編が「ボブという名の猫 幸せのギフト」というタイトルで、来月上映されるそうですね。これはぜひ見に行かねば。ジェームズの希望の弦がひきつづき周りの人たちを救ってくれたら、ママも幸せをもらえる気がします。
映画情報
ボブという名の猫 幸せのハイタッチ ロジャー・スポティスウッド監督 イギリス ソニー・ピクチャーズ 2016年