こんにちは、ママです。今回は、映画「世界から猫が消えたなら」の紹介です。「世界から猫が消えたなら」なんていうタイトルが、悲しい映画がホラーよりも苦手なママにはちょっと耐えられるかどうか不安でしたが、映画「るろうに剣心」シリーズで、剣が強すぎて心が優しすぎるアンビバレントな主人公を演じた佐藤健さんのファンになってしまったママは、ぜひこの映画を観たいと思っていました。
主人公は、脳腫瘍で余命がいくばくもないことを宣告された青年。ショックを隠し切れず・・・なんてこともなく、家へ帰ります。飼っている猫しかいないはずの部屋に、誰かいる。どこかで見たことがあるんだけれど、誰だろう?主人公は訝りながらもその「誰か」と話をします。ずいぶん図々しいやつ、と主人公は思ったに違いありません。でも、ふと気づきます。あのスカーフ、俺のだ。俺が今してるのと同じものだ。
その「誰か」は、自分は悪魔だと言います。余命宣告されて頭が混乱しているのでしょうか。それにしても、シュールな展開です。悪魔は言います。「死なないですむ方法が一つだけある」。まだ若い主人公は、ついその方法を知りたくなります。「世界から一つだけ消すことができれば、寿命を延ばすことができる」と言われ、何を消そうか、考えます。トランプ?ルービックキューブ?電話?
「じゃ、パセリでお願いします。」と主人公は言います。パセリが嫌いなのです。悪魔は、いらだちます。消すものを決めるのは、悪魔の方だったのです。当たり前ですよね(笑)。何かを得るためには、何かを失わなくてはならないとして、それを自分が決められるのなら、映画になりません。
悪魔は、電話を消すことにします。こんなにたくさん連絡先を登録してあったって、どうせ、誰にも電話していないんでしょ?と、悪魔はイタイところをついてきます。電話を消す前に、最後に一回だけ、電話をかけてもいいと言われます。連絡先を見ていく主人公。「カモメ時計店」のところでふと指が止まります。過去に引き込まれる主人公。
時計店の看板、修理している父の背中、捨て猫「レタス」との出会い、優かった母・・・。亡くなった母の病室にいた主人公は、駆け付けた父に静かで激しい怒りをぶつけます。時計の修理ばかりして、母の死に目に合えなかった。父はいつもそうだった。
思い出を振り払い、結局最後に電話したのは、長い髪の少女、昔付き合っていた子でした。
呼び出された彼女は、主人公のその後を気にかけていました。ぎこちなく会話する二人。そのうち主人公は、彼女とのなれ初めに思いをはせます。始まりは、彼女からの間違い電話でした。バックで聞こえる映画のシーンを、彼女は何の映画のどの部分かを言い当てます。つい結末まで言ってしまってあわてる彼女と、それをとりなす主人公。その後、大学の授業で顔を合わせます。
電話だとたくさん話すのに会うと話せない主人公。彼女と電話するためにデートしていたといっても過言ではありませんでした。世界から電話は消えてほしくない!
帰り道、再び悪魔があらわれます。約束通り、電話が消えます。自分の手からスマホが、町から公衆電話が、携帯電話ショップが。その時、「世界から電話は消えてほしくない」と強く思います。でも、その後、彼女は「知らない人」になっていました。
この映画は、夏目漱石の「夢十夜」のよう。一つ一つのものが、一つ一つの思い出が、友人たちが、悪魔によって、主人公の一日分の命と引き換えに、消えていきます。そのファンタジーに、「こうやって何かを犠牲にしながら一日一日を生き延びていくのか」と、主人公は猫を抱きながら苦悩します。でも、「自分の命の方が大事だよね」と主人公にたたみ掛ける悪魔。
悪魔は、何もかも消していきます。「時」が消える。形見の懐中時計も、家の看板も。それでもなお、悪魔に「命の方が大切」とたたみ掛けられる。そんな悪魔に「失せろ!」と言えない主人公は、言われるままに消すしかなかったのです。
彼は、どう生きたかったのでしょうか?でも、もうすぐ命の火が消えようとしている若者に、それを突きつけるのは酷なことなのかもしれません。
ついに、悪魔はこの世界から猫を消そうとします。猫が消えたら、とオロオロする主人公を、再び過去が引き戻します。「私、思うんだ。人間が猫を飼ってるんじゃないって。猫が人間のそばにいてくれているのよ。」「いつまでも、あなたの素敵なところが、そのままでありますように。」
祈りが、主人公の目を覚まします。大切なのは、むなしいのは、何なのか、に気づきます。悪魔の正体にも。世界から猫が消えたら、猫が消えたら・・・。そばにいてくれるのは、本当に猫だけだったのでしょうか?
ファンタジーが終わりました。
猫はいつでも、ただそこにいます。複雑な社会に生きている人間がどんなにもがき苦しんでいても、どんなに自分を苦しめていても、いつもあるように、今日もそこにいます。猫は猫なりにいろいろあるだろうに、苦しむ人間を慰めてくれます。
思い出は、常に過去にある。でも、時計は未来にしか進まない。でも、だからといって、もうすぐ死ぬ運命にある主人公は未来を向かなくてもいい、ということにはならないと思うんです。だって、人は、寿命が尽きるその瞬間まで「人間」だから。人は、その瞬間まで、喜び、悲しみ、痛みを感じ、人を愛し続けると思うんです。もしかしたらその後も。だから、自分がいつ死ぬかなんてわからないけれど、ママはその瞬間まで家族を愛していきたいと思います。主人公にも、ずっと猫を抱いて、いろんなことを想ってほしいと思いました。
こんなことに気づくことができたのも、ゾーイとウーゴのおかげです。猫って、そこにいるだけなのに(いや、ゾーイはとても気配り屋さんですが)、何物にも代えがたいとても尊い存在だと思います。それはきっと、二人は無限の愛と信頼をくれているからなのだと思います。そして、二人の持つ「幅」や「深み」は、ママには覗ききれないからなのだと思います。それは、幸せでもあり、少し残念なことでもあるけれど。
でも・・・、なぜ猫が尊いかという問いには、そんなに簡単には答えられない重みがありますよね。
「みんな違って、みんないい」と詩人の金子みすゞは言いました。今日はママも、ゾーイとウーゴをナデナデしながら、猫の尊さ、二人との思い出やこれからをしみじみ感じたいと思います。って、二人はハンモックでくつろぎ中か。どうぞ、ごゆっくり。
映画情報
世界から猫が消えたなら 永井聡監督 日本 東宝 2016年