ぼくはあくまでぼくでいたかったんだ~「猫と女とモンパルナス 藤田嗣治」の紹介

こんにちは、ママです。いつも控えめなゾーイは、お仕事部屋のママのお隣の椅子の上でうたたねしています。でも、きっと、ちゃんと起きてる。ゾーイはそんな子なんです。ちゃんと起きていて、ママの様子を見てくれてる。これは、ママとゾーイの日常。

ママはゾーイの目が覚めているのを知っているけれど、知らんぷり。時々撫でたくなると、頭をなでます。ゾーイもママのことは知らんぷり。「あたし、今おねんねしているの」という感じを出し、寝たふりをしながらママのナデナデを堪能します。

一日の中で、ママとゾーイが一緒に何かをするのは、遊ぶ時とごはんの時。そのほかは、同じ空間にいるけれど、こんな感じで思い思いに過ごします。でも、いなくてもいいわけではないんです。やっぱりゾーイがいないお仕事部屋はとっても広く、寒々しく感じるし、いてくれるとお仕事がはかどります。もちろん、ウーゴも同じ。

ゾーイとウーゴはママの日常、いつも二人に集中しているわけではないけれど、なくてはならない存在。絵も写真も下手なママは、二人の何気ないけどかわいい姿をいつまでも胸にとどめるために、心のシャッターを切り続けます。

今回の記事では、「猫と女とモンパルナス 藤田嗣治」を紹介します。藤田嗣治と言えば、フランスに渡り、カトリックに改宗し、生涯を通して猫と女性を愛した画家として知られています。日本でもときどき展覧会がありますが、いつも大盛況ですよね。藤田は、自画像、猫、裸婦像、少女、宗教画が有名です。

藤田の描くあの独特な「白」はとても魅惑的で、吸い込まれるように見てしまいます。また、ひとたび吸い込まれたら、飽きることなく何時間でも見ていられます。この本は、藤田の生涯を作品や手紙、写真をもとに綴っているものです。

藤田は、おかっぱ頭がトレードマークで、自画像にも度々登場します。本に載っている写真を見ると、おかっぱ頭はデフォルメされている訳ではなく、藤田本来の姿だったことが分かります。ソファーでくつろぐ傍らには、子猫。鈴をつけた首輪をつけてもらい、まん丸い目をして藤田のそばに従っています。

藤田の繊細な筆致は、少女像や裸婦像の柔らかさや「女性性」を余すところなく表現しています。細い線で描かれた人物は、その魅惑的な「白」が加減して、ふっくらしたほおや胸、しなやかな首筋を与えられ、「女性」となります。西洋風でも日本風でもない、とても不思議な筆致です。

猫の絵は一転して、どこか日本画を思わせる技法を取り入れたものが多くあるように思えます。たいていの猫は、日光の下にいるように、目が細く描かれていますが、母猫が子猫を見る表情や子猫がかごの中のネズミに夢中になっている表情などがとても豊かで、臨場感に満ちています。本にはキャンバスに猫の下絵を描く手元の写真が載っていますが、日本のものと思われる細い細い絵筆からは、近くにある何かに注目している猫が生み出されています。完成した作品では、どんな猫が息づいているのでしょうか。

フランス家屋の白壁に木のマントルピース、お皿や燭台を飾り、大きな猫の絵。藤田は自分の日常を自分の好みにしつらえ、絵に切り取っていたのではないでしょうか。暮らしそのものが藤田の表現だったのではないかと思います。

ママは以前、フランスのランスへ、藤田が建てた礼拝堂を見に行ったことがあります。夕方近かったので内部には入れませんでしたが、駅から歩いて行くと、石造りのその小さな礼拝堂は、低い壁に囲まれた芝生の土地に立って、静かにママを迎えてくれました。派手な飾りのない、薄い石を積み上げて作った礼拝堂の屋根には、小さな鐘が二つと風見鶏。絵と同じく、藤田の暮らしと表現と礼拝堂が、一つに重なって見えました。

夕暮れ時に見たその礼拝堂は、静謐さの中にも温かさがあり、その厳かさに身が引き締まる思いがして、「礼拝堂を見せていただいている」という気持ちでいました。それから何年も経った今、改めてこの本で藤田の絵や写真を見ると、厳かさと温かさのバランスがその時にママが感じたものとは違って感じられます。生活そのものが藤田の表現であることに気付いたからでしょうか。

藤田の家にいた猫、藤田に描かれた猫は、藤田に選ばれた猫。藤田の日常にいた、表現の中心にいた猫。今のママには、藤田の家も礼拝堂も、自分の五臓六腑をさらけ出し内省する場であるように思えます。他人が容易に踏み込むことの出来ない、でも他人に見せる対象という側面がない訳でもない、とても微妙なバランスの上に成り立っている「日常」に見えます。

「礼拝堂を見せていただいている」というのはすなわち、「生活を見せていただいている」あるいは「『藤田嗣治』を見せていただいている」ということなのかもしれません。

藤田の絵は万人が鑑賞するものだけれど、絵がすなわち「藤田そのもの」だとしたら、見て思うままを軽く口にするのははばかられるような気がします。同じように、藤田の礼拝堂も、「人格」があるような気がするんです。

だから、藤田の家にいた猫、藤田に描かれた猫は、藤田に選ばれた猫。何だかうらやましいです。でも、そんなふうにかつて生きていた画家の世界観に触れることが出来て、とても心が豊かになるのを感じました。

藤田の描く、日本風な愛くるしい猫。表情豊かに、藤田の日常にいた猫。何気なく存在していたけれど、きっと、とっても愛されていたのではないかと思います。ゾーイやウーゴへのママの愛し方とは違うと思うけれど。

書籍情報

猫と女とモンパルナス 藤田嗣治 株式会社オクターブ 2018年