猫ってどんな子?~「猫の世界史」の紹介

こんにちは、ママです。今回は、「猫の世界史」の紹介です。この本は、美術作品や文学を通して、猫がどのような存在だったのかを解き明かす「知の冒険」です。猫についてママが知っていることや、見た事・読んだことのある作品を取り上げながら、古今東西の猫について網羅的に書いてあり、嬉しくなります。

歴史上、猫ほど毀誉褒貶の激しい生き物はいないと思います。古代エジプトでは神格化されたかと思えば、中世ヨーロッパではたくさんの猫が悪魔の使いであるとして捕らえられて、殺されました。悪魔の使いだなんて、ひどいですよね。でも、「文化のせいで」と済ませるのは簡単ですが、ここには宗教観や人間観が深く根ざしていたので、そんなに簡単な話ではなかったようです。

この本を読んでみると、猫には受難の時代が3回あったようです。一回目は、中世ヨーロッパで虐殺された時代、二回目は、キャットショーが隆盛を極めた19世紀後半、そして三回目は動物実験で猫が使われている今日・・・。すべて人間の都合です。例えば動物実験の是非はいろいろなところで言われているし、代替実験なども開発されているようですが、なかなか動物実験を完全停止できる状況にはならないようです。それに今は、適切な飼育がされないため、また、ペットの行き過ぎた商品化のため、新しい「受難」の時を迎えています・・・。

猫は、古代エジプトではすでに人に飼われていたようです。このときには、家で穀物を荒らすネズミを退治していたとのこと。その後猫は神性を持ち、女神バステトが猫の姿を取るようになったそうです。バステトは、猫の優雅な姿、雄を求める声、子育ての様子などと結びつき、豊穣の神や家の守り神となったのだそうです。

ちなみに、犬は人間の生活に合わせて変わっていったけれど、猫は人間に飼われるようになっても、やることは相変わらずネズミ取り。そのため、犬ほどの変化はないんだそう。変わったことと言えば、体が小さくなったこと、繁殖サイクルが早まったこと、そして、以前「ネコは小さなライオンだ~「ネコライオン」の紹介」の記事にも書いた、成長しても幼さを残すようになったこと、などだそうです。

あれ?でも、猫ってとっても多くの種類がいるように思えるけれど・・・。これは、歴史的に自然交配しながら種類が増えていったのもありますが、キャットショーで血統を管理するようになったことも一因のようです。初めは、一定の色や形にバリエーションが保たれるように掛け合わせていったそうです。我が家のウーゴはアメリカンカール。耳が外側にくるりんとカールしています。これも、偶然見つけたこういう耳の猫から、必ず同じ形の耳の子猫が生まれるように、交配して固定した結果だと、何かで読んだことがあります。

でも、人間は欲深い生き物。それだけでは満足できず、自然にもともと存在していたシャム猫を不自然に細い形にしたり、ペルシャ猫を過度に平たい顔にしたりしました。アメリカで以前最高賞を受賞した猫は、異様に細い体に巨大な耳、足、尻尾、首は不自然に長かったそうです。ペルシャだって、交配の結果、もともとあった敏捷性が失われているとのこと。キリスト教文化では、動物には理性も自由意思もないと思われてきたそうです。そのため、こうした人間の都合での交配や中世ヨーロッパでの大虐殺につながったのではないでしょうか。日本人は逆に、「自然のまま」であることを尊ぶ文化に生きています。ここまで来ると、やっぱり、猫の「受難」なのかしらと思ってしまいます。

さて、古代エジプトでは、猫はペットとしても大切にされてきたそうです。めでたいときには家族と喜びをともにし、猫が死んでしまったときには、驚くことに、喪にも服したそうです。現代の人間と猫との関係を彷彿とさせますね。ママだって、以前飼っていたシャム猫ちゃんを亡くしたときにはしばらく立ち直れなかったし、ゾーイとウーゴとの時間は、何よりも大切なものだと思っています。こうした気持ちと、喪に服す気持ちは同じなのではないかと思います。

また古代エジプトでは、猫には全くマイナスのイメージがなかったそうです。他の文化では、猫はなぜ「悪者」になることが多いのでしょうか?日本でも化け犬や化けネズミはいませんが、化け猫はいますよね。デズモンド・モリスの「なぜ、猫はあなたを見ると仰向けに転がるのか?」「猫に超能力はあるか」では、猫の足音を立てないところ、暗闇で目が光るところ、マイペースなところ、夜ソロソロと行動するところなどが、気味悪さと結び付いたとしています。

ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」では、まさにそんな猫の代表格である「チェシャ猫」が登場します。首だけで宙に浮いているなんていう不気味な表現もあります。でも、やっぱり猫ってかわいいよ。我が家のゾーイとウーゴは足音立てるし、暗闇で目が光ったら、「あ、いた!」ってうれしくなっちゃうし、マイペースさにふりまわされたら、「ン~、もう!」って思っちゃうし、夜はみんなでグーグー寝ます。それに、日本には、幸せやお金を呼んでくれるという誇るべき「招き猫」の文化があります。ママには、やっぱり猫が「悪者」なんて考えられません。

ところで、古代エジプトでは、猫はミウまたはミイといったそうです。これって、英語でニャーと言うときの「miaow」や「meow」というのと語源が同じなのでしょうか?この部分を読んで、以前フランスへ行ったときのことを思い出しました。泊まった民宿にいた猫の名前は「ミニュー」といったのですが、意味は「猫ちゃん」というような感じだということでした。フランス語が分からないママと英語が堪能ではない宿の女性の会話だったので、本当のところは分かりませんが、これも、ミウやミイという名前と同じ語源なのでしょうか?

ミウもミイも、「miaow」、「meow」、「ミニュー」も、かわいさ満点。こうした響きからは、猫が実は「悪者」として扱われていたなんて、到底想像できません。以前絵本「白猫」を紹介しましたが、これは、もともとは17世紀のフランス宮廷で作られたおとぎ話です。このあたりからだんだんと、猫を趣味のいいペットとして描くことが始まったそうです。「白猫」のように優雅な貴婦人から、母性豊かな主婦猫まで、さまざまな切り口で猫が登場します。

貴婦人や主婦猫・・・。言われてみれば、猫はほとんどの場合、「女性」として描かれているなあ。猫が男性として描かれているのは、ヨーロッパの民話がもとになっている「長靴をはいた猫」や夏目漱石の「吾輩は猫である」くらいしかママは知りません。猫の鳴き声の可憐さ、体のしなやかさ、マイペースさが、「女性性」と結びついたのでしょうか。藤田嗣治も、「女性にひげと耳をつけたら猫になる」と言っています。そんなことで猫になれるならなりたい、とママは激しく思います(笑)。外見さえ整えれば、内面はすでに猫になっているということでしょうか。なんたる光栄。

この記事の初めに、ママは「猫ほど毀誉褒貶の激しい生き物はいない」と書きました。今後、猫はどのような未来をたどるのでしょうか。現代は、「ペットは家族」が定着し、大切に育てる人が増えました。その裏で、ペットを「もの」のように扱い、最後まで責任を持たない飼い主がいます。ペットショップやブリーダーでペットの「商品価値」がなくなると、悲惨な未来が待っていることが多いとも聞きます。また、野良猫として厳しい世界に身を置いている猫もいますが、「地域猫」として人間に世話されたり、「保護猫」として新しい家族に迎えられたりする猫もいます。

ママは、猫の幸せがずっと続くことを祈っています。願わくば、もう、猫が殺されたり飼育放棄されたりすることのないような世の中になることを。そして、出来れば、猫のかわいさ、素晴らしさをよりたくさんの方法で伝え合う文化が育ちますように。

書籍情報

猫の世界史 キャサリン・M・ロジャーズ 株式会社エクスナレッジ 2018年