こんにちは、ママです。突然ですが、もし飼いネコちゃんが逃げ出してしまったら、どうしますか?完全室内外のお家なら、あわてて探し回るでしょう。外にも出しているお家なら、「じきに帰ってくるでしょ」としばらく様子を見るかもしれませんね。我が家のゾーイとウーゴは完全室内飼い。ママはきっと半狂乱になって探すと思います。以前NHKのドラマで「猫探偵の事件簿」というのを見たことがありますが、猫探偵さんにもお願いすると思います。
我が家のゾーイとウーゴが逃げ出してしまったとき、ママが半狂乱になって探す理由は、家の前が、トラックが始終行きかう道路だから、だけではありません。二人の生活は、家の中だけで完結しています。キャリーケースに入れて獣医さんへ行く以外には、たまにパパと一人ずつ抱っこしてベランダに出て、外を味わわせてあげることもあるけれど、どちらも外の世界の息遣いを身近に感じているとは言えない状況。二人の世界は家の中だけなんです。
だから、二人が外に出てしまったら、どんなに怖いだろう、不安だろう、と思ってしまうんです。もし、外猫に追いかけられていたら、ママのことを物陰で待っていたら、いつものおいしいごはんとふかふかベッドを探していたら、と思うと、考えただけでも気がおかしくなりそうになります。
今回は、映画「ルドルフとイッパイアッテナ」の紹介です。これは、児童文学作家斉藤洋さんの原作を、3DCGで描いた作品です。ルドルフの声を井上真央さん、イッパイアッテナの声を鈴木亮平さんが演じています。
春のある日、見事な桜の木があるお家で、桜の花びらと遊ぶ黒ネコ。飼い主の女の子が呼ぶと、にゃ~んと駆け寄ります。黒ネコちゃん、女の子が大好きなのがわかります。黒ネコはルドルフ、女の子はリエちゃんです。ルドルフは、おつかいに行った女の子リエちゃんを追いかけて外に出てしまいます。そのままトラックに乗って、遠いところへ。
人に追いかけられたり、ぶつかったりして、シシャモを加くわえながら逃げまどうルドルフ、かわいそう。ママはとっても心が痛みます。ここはどこだろう?お家に帰る道は?早くリエちゃんに会いたい、なんて考えている余裕もないかもしれません。危ないことが多すぎて、シシャモをくわえていることも忘れてしまっているのかも。
外の景色が、本物みたいに映っています。それが余計に、ルドルフを取り巻く緊迫感を感じさせます。どうしよう、早く家に帰らなきゃ。でも、子猫にはどうすることもできません。
そんな中、ルドルフは背中がトラ模様の大きな雄猫に声をかけられます。「そもそも、ノラじゃねえな」という雄猫に、「だったら何?」と言い返してしまうルドルフ。猫のおきてを知らないんですね。一度はシシャモを置いて行けと言ったけれど、かわいそうに思ったのか、やっぱりいいよという雄猫。でも、「(君が)怖いから(僕は)シシャモを置いていくんでしょ」と、ルドルフはさらに口答えします。「いらないよ、一度おいていったんだから」と、どこまで行っても気が強いルドルフ。
こんな風にグイグイいくところ、ちょっとウーゴと重なります。きっと、リエちゃんにいっぱいかわいがられていたんだね。雄猫の名前を聞くルドルフ。「俺の名前はいっぱいあってな・・・、」と話し出した雄猫に、ルドルフは、それが名前だと勘違いしてしまいます。違うというのに、「イッパイアッテナ」と呼び続ける。この怖いもの知らずはただものじゃないな、ルドルフ。
結局、ルドルフはイッパイアッテナに一宿一飯(以上)の恩義を着ることになります。「三丁目」から来た、と、これまでのいきさつを話すルドルフ。あ~あ、それだけじゃ、お家に帰れないんだよ。イッパイアッテナにも同じことを言われてしまいます。夜、リエちゃんを思い出して泣いてしまうルドルフ。ママも感情移入してしまいます。ウーゴが夜、一人でパパやママが恋しくて泣いてしまっていたら・・・。ゾーイが「あたしは大丈夫」と自分を励まし続けていたら・・・。胸が張り裂けそうです。
もう何年も前になりますが、家に流れ着いた猫ちゃんがいました。クリーム色の長毛の子で、つい最近までどこかの家の飼い猫だったのではないかというくらいきれいな子でした。でも、何かの拍子で逃げ出してしまったのかもしれません。ママが敷地の反対側から注意を引くと、興味を掻き立てられたようなまん丸い目をしましたが、まるで辛いことでも思い出したようにふいっと顔をそむけてしまいました。飼い主さんは、当時のママと同じくらいの年回りだったのかな?
きっと、とてもかわいがられていたのでしょう。顔をそむけたその様子から、その猫ちゃんが心に傷を負っているのがわかりました。10日ほどで姿を見なくなりましたが、今でもその後が気になっています。飼い主さんと再会して幸せになってくれていたらいいけれど。
さて、翌日、ルドルフはイッパイアッテナとお外へ出ます。野良猫のお仕事、ごはんをもらいに地域を回ること。ボス、デカ、トラ、シマスケ。行く先々で、イッパイアッテナはいろいろな名前で呼ばれます。俺の名前はみんながそれぞれ勝手につけたんだ。だから、イッパイアッテナが名前ではない。でも、やっぱりイッパイアッテナと呼び続けるルドルフ。やっぱりただ者ではない。
イッパイアッテナは、ほかの猫とは一味違います。それは、字を読めること。イッパイアッテナの飼い主はアメリカに引っ越す前、生きていくのに必要だと、人間の文字を教えたそうです。おかげで、新聞を読めるようになったり、献立表を読んで、おいしいごはんがもらえる日がわかるようになりました。字が読めただけでは、そうならないんだけどなー、なんていうことは置いておいて、続きを観ていきます。
あるとき、テレビでルドルフが住んでいたところが映りました。岐阜県。今いるところは、東京都。ずいぶん遠くまで連れてこられてしまっていました。ルドルフの説明は、論理的。神社から学校までだって、十分遠い。でも岐阜まではその距離の何百倍もかかる。それは、ルドルフに辛い現実を突きつけました。
リエちゃんの夢を見ているルドルフ、心が痛みます。映る景色は、イチョウの葉が舞い散る、秋になっていました。ルドルフは、リエちゃんの待つ家に帰ることができるのでしょうか。
この映画は、その後もちょっとしょっぱいどんでん返しが続きます。ライバルの犬デビルに瀕死の重傷を負わされました。その理由は・・・。イッパイアッテナは、仲間の猫に、「事故に遭ったと言ってくれ」と言ったのです。それを受け入れるルドルフ。ほんの小さな子猫なのに、大きな十字架を背負ってしまったね。
しょっぱいどんでん返しはまだ続きます。岐阜に帰れるはずだったのに、ルドルフはイッパイアッテナのところに戻ります。そして、「乗り遅れた」とだけ告げます。「男同士の約束なんだからな」という言葉が、二人の背景に移ろいます。
弱さとは何か、強さとは何か、後悔とは何か、友達とは何か、自分とは何者か・・・。人は(猫は、犬は)、どう人とかかわっていくべきなのか、アニメなのに、大きな問いをまっすぐに投げかけられます。
最後のどんでん返し。「かけがえのないもの」について、猫の側面と飼い主の側面から、強烈なパンチが飛んできます。ママはここで涙腺崩壊。アニメなのに、思考と感情が揺り動かされる。突き付けられたものの大きさやルドルフのひたむきさに圧倒されて、鼻の奥がつーんとして、映画を観ながら嗚咽してしまいました。パパがいなくてよかった。そんなママを、ゾーイとウーゴがちょっと心配そうに観察しています。これは、二人の優しさ。ママとの絆。二人だって、ママのかけがえのない存在です。
ルドルフは、どのくらいの涙を飲んできたんだろう。ママなら、どうしただろう?ゾーイやウーゴには、絶対に、こんな思いはさせたくない。二人の世界の中で、大切に「家族」を守っていきたい。
今後、何があっても、災害があっても、ゾーイとウーゴを絶対に外に逃がさないように気を付けよう。逃げてしまったら、どんなことをしてでもあきらめずに探そう。逃がさないように、というだけのことですが、これがいろいろな人(猫)の運命をここまで変えてしまうことになるのなら、やらなければいけないと思うんです。
「飼い猫だろうがノラだろうが、自分であることに変わりはない」、とイッパイアッテナは言います。でもママは、そう言える自信がありません。ノラとなってしまったらゾーイとウーゴはもはやママの子ではないと言っているのではありません。仮にノラになってしまったとしても、ゾーイもウーゴも大切なママの子供。そういうことではなくて、ゾーイとウーゴが帰属しているのは、パパとママがいる「家族」。それを、何が起こっても侵したくないと思うんです。二人の世界を、ずっと、「幸せな家族」で完結させたいと思うんです。
かわいい黒猫が繰り広げる、運命の深淵を見つめるこの映画、おススメです。
映画情報
ルドルフとイッパイアッテナ 湯山邦彦、榊原幹典監督 東宝 2016年