猫の絵本特集③~小林敏也(宮澤賢治の童話)

こんにちは、ママです。今回は、宮澤賢治の「猫の童話三部作」の紹介です。「猫の童話三部作」と一般に言われているかはわかりませんが、「どんぐりと山猫」、「注文の多い料理店」、「猫の事務所」という、猫が主人公の童話を紹介します。ママの手元にある本は、好学社が出版している「画本 宮澤賢治」というシリーズで、どれも絵は小林敏也さんが手がけています。

宮澤賢治は、言わずと知れた明治生まれの童話作家、詩人です。小学校の国語の教科書で「やまなし」や「雪渡り」を読んだこともある人も多いのではないでしょうか。当たり前のはずのことが全くさかさまから描かれている「注文の多い料理店」、賢治の朴訥とした人柄がしのばれる「雨ニモマケズ」の作品に親しんだ人もいるかもしれません。

ママも、「雪渡り」や「銀河鉄道の夜」、「狼森と笊森、盗森」、「セロ弾きのゴーシュ」が大好きでした。また、「グスコーブドリの伝記」を読んで、その耳慣れない名前の響きに魅了され、「イーハトーヴ」という賢治の作った「理想郷」とはどんなところかしら、と想像を膨らませたものです。

小林敏也さんの絵は、そんな賢治の世界観を豊かに描き出しています。明治・大正時代に描かれたストーリーを彷彿とさせるレトロ感や(賢治自身は、時代や場所を超越した、普遍的な世界観を作りたかったのですが)登場人物の朴訥さが、本当に多様な絵画技法で描かれていて、同じ人が描いたとは思えないほどのテイストの違いが楽しめます。本文のフォントも独特で、まるで版画のよう。

また、この三冊、同じサイズでほぼ同じ厚みの本なのに、なぜかそれ以上に違う感じがします。やっぱり別人が絵を描いているのかしら?いえいえ、そうではなく、実は、紙も、作品で使い分けているのだそうです。確かに、表面のテクスチャーが全く違います。こんな風に細部までとっても丁寧に作りこまれた画本で、ぜひ手元に置いておいて、時々読み返したいと思いました。

どんぐりと山猫

早速、「どんぐりと山猫」の紹介です。主人公の一郎は、おかしなはがきを受け取ります。「あなたは、ごきげんよろしほで、けつこです。あした、めんどなさいばんしますから、おいでんなさい。とびどぐもたないでください。山猫」初めてこの作品を読んだとき、ママはとってもワクワクしました。だって、山猫からのハガキなんて、そうそうもらえるもんじゃない。最近の子は、もしかしたら年賀状もLINEやインスタグラムでやっていたりして。郵便離れが進んでいるからピンと来ないところもあるかもしれませんね。でも、山猫の招待状、欲しくないですか?

翌日、一郎は招待を受けて山へ向かいます。途中で出会う木の葉や栗の実、リスの毛が、細かいひっかき傷のような繊細な線で描かれています。そして、草原へ出ると、待っていたのは鞭をもった男の人。同じく繊細な線で描かれた草がそよそよとそよぐ中で、シンとして立っています。馬車別当と名乗ったその男の人は、山猫の代わりに一郎を迎えに来たのでした。

山猫がやってくるのを待ちながら、馬車別当ははがきのでき具合を一郎に聞きます。「あの文章は、ずいぶん下手だべ。」一郎は答えます。「さあ、なかなか、ぶんしょうがうまいようでしたよ」馬車別当は耳のあたりまで真っ赤になり、喜びます。

一郎はさらに喜ばせようとして、「五年生だってあのくらいには書けないでしょう。」と続けます。すると馬車別当、急にシュンとして、「五年生というのは、尋常五年生だべ。」と意気消沈。一郎はあわてて「大学の五年生ですよ。」ととりなします。馬車別当はまた喜んで、あのはがきは自分が描いたのだと言います。褒めてほしかったんですね。大人になっても、褒めてもらうのって、大切です。

「めんどなさいばん」とは、だれが一番えらいのか、どんぐりたちの争いに決着をつけることでした。大きいの、丸いの、頭のとがったの、どれが偉いのか、ママにもさっぱりわかりません。それに、「大きいと言ったら自分の方が大きいじゃないか」、と収拾がつきません。

すると山猫、「やかましい。ここをなんとこころえる。しずまれ、しずまれ。」と一喝します。ここの描き方は、この作品の山場でしょう。小林さんのこの作品への愛と賢治への敬意が伝わってきます。

どんぐりたちを納得させられず困った山猫は、一郎に助けを求めます。一郎は、自分が学校の先生から言われていることを思い出しながら、全く逆説的な答えを出します。これは、賢治から染み出てくる優しさがほとばしる場面。「えらい」って、何だろう?簡単なことばだけれど、なかなか説明できない。鋭い問いを突き付けます。

裁判を終えることができた山猫は喜んで、一郎に名誉判事となるよう頼みます。快諾した一郎はその後も呼ばれることを心待ちにしますが、それっきり。一回きりの経験だからこそ、光る思い出になるのでしょう。表紙にもなっている、草原の中を馬車別当が立ち尽くしている情景が、一郎の中で「永遠」となります。

注文の多い料理店

宮澤賢治の代表作と言ってもいいほど有名な作品ですね。山の中にポツンとある「西洋料理店 山猫軒」が舞台です。おなかをすかせた二人の若い紳士が山猫軒に入り、いろいろな注文を受けます。寒い外から温かい屋内に入るときのおもてなしだと思って喜んで言うとおりにしていたら、実は誰か(山猫軒の主)が自分たちを料理する下ごしらえをするための注文だったのか、というお話です。これも逆説の一つ。でも、あまり多くの人が思いつかない視点で、不思議な世界観を醸し出していますよね。

若い紳士たちが連れている猟犬は、とても仕事が出来そう。つまり、鋭い本能を持ち合わせて、狩りが上手そう。こんな犬に追いつかれたら、どんな動物もひとたまりもありません。猟犬の無表情さがより一層の無常感を誘います。

猟がうまくいかずおなかをすかせた二人が入った山猫軒。モダンで素敵なデザインのドアに「どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はありません。」と書かれています。二人は喜んで、食事をとるために中に入ります。次々とドアを通っていく二人。奥に入るごとに、いろいろな色や形のドアがあり、ドアには必ず文字が書いてあります。「ことに肥ったお方や若いお方は、大歓迎いたします」「注文は随分多いでしょうがどうか一々こらえてください」

ドアは、廊下のずっと先にあるものが描かれていたり、鏡文字になっていたりと、ドアの向こうへの興味を掻き立てられます。ドアを閉めて振り返ると裏側にまた文字が書いてあります。ここを超えるとどうなるんだろう?次はなんだろう?ドアのデザインの不思議さも相まって、このレストランはどうも怪しいぞ、ということもすっかり意識から抜けてしまいます。

愛くるしい猫から自由奔放な猫、そして、以前「猫ってどんな子?~『猫の世界史』の紹介」の記事に書いたような、ステレオタイプとして語られる「気味悪い猫」まで様々あるけれど、このお話に出てくる山猫は、きっと「気味悪い猫」がモチーフになっているのだと思います。でも、賢治の持つ朴訥ささながら、この山猫も一つ一つの注文(レシピ)を忠実にこなしてもらうために、まじめにドアを作って文字を書いていく朴訥さがあって、やっていることは極悪だけれどなんだか憎めません。

本文にも工夫があります。ストーリーは明朝体で書かれているけれど、ドアに書いてある文字はゴシック体で書かれているのです。伝えたいことを読みやすく伝えることができ、カジュアルさや親近感を出すのに適しているゴシック体は、山猫軒の中の他の情報への認識を薄めさせる効果があるのかもしれません。

また、1ページに入れる行数も、ストーリーが緊迫してくると多くしたりして、読んでいるうちに嫌でもテンポアップしなければならない気分になってきて、「どうしよう、どうしよう」と慌ててしまいます。子どものころはこのお話を挿絵の入った文字主体の本で読んだけれど、その時とは受ける印象がとても違います。この絵本の持つ力って、本当にすごいです。

子どものころに何度も読んで知っているストーリーではあるけれど、小林さんが手がけたこの画本だからこそ、ストーリーが表す感情を一つ一つ強烈に感じることができました。ぜひ、手に取ってみて。

猫の事務所

このお話は、猫の歴史と地理を調べることが仕事の「猫の第六事務所」を舞台に繰り広げられる「職場いじめ」と勧善懲悪のお話です。「職場いじめ」と聞くとドキッとしますよね。童話なのに、そんなブラックなお話なのかしら?でも、このお話の中でのいじめは読んでいて辛くなります。

みんながなりたい「猫の第六事務所」の書記、その中で選ばれた4人は、白猫、虎猫、三毛猫、かま猫でした。かま猫とは、夜は温かいかまどの中で寝るので体がすすけている猫。汚いので、ほかの猫には嫌われています。

ぜいたく猫のお客さんが、氷河鼠を食べにベーリング地方へ行きたくて、情報を仕入れにきました。事務長は書記に次々に情報を出させます。氷河鼠の産地、ベーリング地方の旅行の注意点、ベーリング地方の有力者について・・・。とっても便利な事務所ですね。ママは、ここで働かせてもらって猫のことをもっとよく知りたいです。

ちなみに、ベーリング地方の有力者の名前はトバスキーとゲンゾスキー。これは、岩手県陸前高田市出身の博物学者鳥羽源蔵先生のお名前から取っています。賢治は、「イギリス海岸」と呼んでいた花巻市の北上川でクルミの化石を拾いました。賢治は、友人を通じて鳥羽先生とつながり、化石の鑑定を相談し、「イギリス海岸」に案内もしました。クルミや「イギリス海岸」のモデルは、「銀河鉄道の夜」にも出てきます。

さて、かま猫は、みんなにいい人(猫)であろうとしますが、周りの悪意に翻弄され、辛い日々を送っています。周りは、自分の持つ悪意に気づいてすらいないかもしれません。そんな様子が、小林さんが描く「キョトンとした顔の猫」や「どこを見るでもない、ただ意地悪そうな表情の猫」として表現されています。かま猫は、みんなの悪意を感じて、ついには泣き出してしまいます。

賢治の「朴訥さ」は、「上手でなくてもいい、みんなで力を合わせてことを成し遂げよう」というところにあると思います。持つものもいれば持たざる者もいる。力がなくても知恵がある人もいるし、その逆もまたしかり。お互いを尊重して、持つものを合わせて頑張ろう、ということなのだと思います。だから賢治ならば、かまどの中で寝ているからと言ってかま猫を汚いと思わないし、かま猫のありのままを見ようとしているのだと思います。

でも、世の中には賢治のように思わない人もいるし、そういう人とも共存していかなければならない。そのために理不尽な経験もすると思うけれど、最後まで読むと、「天は必ず見ている」ということをこのお話は伝えようとしているのだと思いました。でも、「ぼくは『半分』獅子に同感です」って、なぜ半分なのかしら?

この本の小林さんの絵は、「どんぐりと山猫」や「注文の多い料理店」と違って、鉛筆画のタッチで描かれています。それにモダンな感じ。やっぱり、現代にも通じる問題点を扱っているからでしょうか。でも、同じ人が描いたとはとても思えません。小林さんの創造性に脱帽です。

書籍情報

画本 宮澤賢治 どんぐりと山猫 宮澤賢治作 小林敏也画 好学社 2014年

画本 宮澤賢治 注文の多い料理店 宮澤賢治作 小林敏也画 好学社 2013年

画本 宮澤賢治 猫の事務所 宮澤賢治作 小林敏也画 好学社 2017年