猫の絵本特集④~ハンス・フィッシャー

こんにちは、ママです。先日の記事で、石井桃子さんの絵本「ことらちゃんの冒険」を紹介しました。わんぱくでちょっと向う見ずなことらちゃんが、弟や妹の誕生などをきっかけにたくましく成長していく様子を描いたこの本は、人間の心を真正面からとらえた本。猫(動物)の持つまっすぐな心とよい調和をなしています。また、これはすなわち石井さん自身の心の強さなのだと思います。

今回は、ハンス・フィッシャーの猫の絵本「こねこのぴっち」と「長ぐつをはいたねこ」を紹介します。「こねこのぴっち」は石井桃子さんが訳を手がけています。ハンス・フィッシャーはスイスの画家。スイスでは、壁画や教科書の挿絵も書いていたそうです。きっと、スイスの人なら一度はフィッシャーの作品に触れたことがあるのでしょうね。フィッシャーは、自分の子供たちのために、絵本を描いていたそうです。

こねこのぴっち

「こねこのぴっち」では、ペンと絵具、ところどころ版画で彩られた絵がとても繊細で温かく、日々の穏やかな幸せが余すところなく表現されています。見ているだけで、とっても幸せになれる絵です。

主人公のピッチは「基本黒い」子猫。「基本黒い」というのは、お顔はハチワレ柄で、それとつながるようにお胸の毛も白いからです。まるでダイヤモンドを戴いているよう。背中のちょっとぼさぼさなボサボサな感じは、まだ大人の毛になりきっていない子猫を連想させ、かわいさ爆発です。特に長毛種のゾーイは、こういったボサボサ感が満載で、とても愛くるしかったのを覚えています。

ぴっちは腕わんぱくなのでしょうか。表紙裏には、お座りしたり何かに手を出していたり、いろいろなぴっちの姿がたくさん描かれています。どれも目が真ん丸で、興味津々な様子です。

ぴっちはりぜっとおばあさんの猫。お父さんとお母さんは、まりとるりと言います。お父さんなのにまり?フランス語では、ジャン=マリという男性の名前がありますが、ジャンという男性名とマリという女性名が並ぶと、初めの名前の姓になるのだそうです。もしかしたら、そういう名前のお父さんなのかもしれませんね。

ピッチは5人きょうだい。他の4人は毛糸玉にじゃれたり取っ組み合いをしたりしているのに、ピッチはかごの中で一人で考え事をしています。犬のべろが心配そうにピッチを見ています。

病気なのでしょうか?いえいえ、ぴっちは、そんなことはしたくなかったのです。このあたり、どことなく「ことらちゃんの冒険」を彷彿とさせますね。自我の目覚めた少年(ぴっちは赤ちゃんですが)。どんなことを思っているのでしょうか。

ぴっちはひよこたちと遊びたいと思いい、外に出ましたが、めんどり母さんはひよこたちと一緒にほかのところへ行ってしまいました。そうですよね。ぴっちは赤ちゃんとはいえ猫ですもの。万が一ひよこたちが狩られたら大変。おんどり父さんの歩き方が立派なのに憧れて、今度は二本足で胸を張って歩いたり、地面のえさをつついたりしました。「こけこっこう!」だっておんなじようにできるようになりました。

その様子があまりうるさいので、隣のうちのおんどりが怒りだし、おんどりとうさんとけんかになってしまいました。ピッチは懸河はいやだと逃げ出します。次についたのは、やぎのところ。ピッチはやぎになってみたくなります。優しいやぎは、自分のよそ行きの鈴をピッチに貸してくれました。ピッチは木の枝を角のようにつけてみます。そうそう、工夫が大切。自分で考えたなんて、えらいね。でも、りぜっとおばあさんが乳しぼりにやってきました。ピッチは乳を搾られては大変と、逃げ出します。

ぴっちはおもしろいことを求めて、いろいろなところに行くようです。でも、きょうだい同士のじゃれ合いじゃなくて、毛糸玉にじゃれることでもなくて、李ゼットおばあさんのそばでくつろぐことでもなくて・・・。もしかして、猫以外のものになりたかったのかな?

それからもいろいろなところに出かけ、いろいろなチャレンジをするぴっち。でも、夜になり、入り込んだ小屋の戸をりぜっとおばあさんが閉めてしまいました。いつもと違うところで心細いし、森の方から来た獣たちに襲われそうになるし、ぴっちは大きな声で鳴きます。気づいたりゼットおばあさんに救出されますが、ぴっちは重い病気になってしまいます。

でもご心配なく、りぜっとおばあさんのうちのたくさんの動物たちがぴっちを心配し、看病します。けものに襲われそうになって怖い思いをしたぴっちを、みんなが協力して思い思いの方法で楽しませます。2ページ見開きで描かれたその場面は、とても賑やかで、楽しそう。みんながぴっちのためにやっているんだけれど、みんなも楽しそう。何もない日常もいいけれど、何かの機会にこんな風に非日常を作り出すのって、とっても大切。ワクワクするよね!石井桃子の訳とフィッシャーの絵がきれいに混ざり、英訳とは違う味わいを出しています。

こねこたちの無邪気な表情やしぐさ、りぜっとおばあさんや大人の動物たちの優しい表情。猫は猫らしく、犬は犬らしく、やぎはやぎらしく描かれているのに、それぞれ個性がほとばしります。そして、りぜっとおばあさんは、純真無垢な少女のよう。人の表情にはそれまでの人生での経験が表れるといいますが、きっと、求めすぎず、でも愛にあふれて充実した人生を送ってきたのでしょう。ママも是非、そんな深さと穏やかさをもった少女のようなおばあさんになりたいものです。

長ぐつをはいたねこ

繊細な筆致で穏やかに、にぎやかに描かれた「こねこのぴっち」からは一転、「長靴をはいたねこ」は、黒いクレヨンで力強い猫が描かれています。「長ぐつをはいたねこ」は、シャルル・ペローが原作。フィッシャーはそれを絵物語に仕立てて注釈を付け、この絵本を完成させたそうです。

シャルル・ペローと言えば、「赤ずきん」、「青ひげ」、「眠れる森の美女」、「シンデレラ」、「巻き毛のリケ」など、あまりにも有名な物語を数多く世に出しています。ペローの作品は、絵本やお芝居になっているほか、バレエ作品やディズニーの映画にもなっていて、時を超えていろいろな形で楽しまれています。どんなところが親しまれているのでしょうか。

ストーリーはこう。3人の息子を持った粉屋が死んでしまい、末の息子が猫一匹を譲り受けました。猫しかもらえなかったと肩を落とす末の息子を見やりながら、猫は息子に長ぐつをおねだりし、いろいろなものを王様のお城へ運びました。気をよくした王様は、贈り物をくれた「カラバ伯爵」に興味を持ちます。猫の作戦によって王様の馬車に乗り込んだ息子は、道中「自分の土地」や「自分のお城」を見せます―――。

最初から最後まで明るく陽気にストーリーは進み、幸せのうちに終わります。テンポの良い語り口は、陽気さに相乗効果を加えています。遺産として猫一匹しかもらえなかった末の息子ですが、猫の力を借りながら、サクセスストーリーを紡いでいきます。フィッシャーの絵は、クレヨンが主体で時々版画でアクセントを加えた、力強く牧歌的なもの。猫の頼もしさと賢さ、陽気さと勇気がどんなものかがよくわかります。

面白いのが、猫が長ぐつをはく練習をするところ。息子に心配かけないようにするためでしょうか、夜中にこっそり練習したそうです。猫が長ぐつと格闘するシーンがたくさん、2ページにわたって描かれています。それぞれの絵からは、「うーん」、「なんだこれ」、「長ぐつってこんなにはきにくいんだ」、「こんなものをよくはいているな、人間は」、「歩けるのか、これで?」、「ああん、もう!」など、いろいろな声が聞こえてきます。ウーゴもこんな風にコロコロ転がりながら、ブーツと格闘しそう。

確かに、人間の足と猫の足って、全然違いますもんね。ママの方こそ、「よくこの猫長ぐつはけたな」って感心します。だって、猫の足は、つま先立ちしているようになっていて、本来ならば足が「くの字」になっているところ(かかと)まで、長ぐつの底が来なければならないはず。それに、かかとよりも先はとても太くて、長ぐつなんかはいらなさそう。

「うーん」、「長ぐつってこんなにはきにくいんだ」、「よくはけるね、きみ」、「きみ、歩ける?」など、先ほどの猫の声がそのままママの声になりそうです。最終的にそれを何とかしてはいてしまったばかりか、歩けるようになってしまったなんて、この猫本当に努力家ですね。しかも、それを夜中にこっそり練習していたなんて、どれだけカッコイイの!

猫(自分)しか持っていない息子にいろいろなものをもたせる猫、その方法は、猫そのものなのですが、一味違ってスパイスが効いています。狩りをする方法は猫ですが、それを王様の貢物にしたり、鏡に向かって猫の怖い顔を練習して土地の農夫を脅して、王様が通りかかたった時に「カラバ伯爵の土地です」と言わせたり、なかなか知恵者。猫は、それらをあっけらかんとやってのけてしまいます。それが、「気味悪い」という猫のイメージをどこかへ吹き飛ばしてしまいます。

最後に打ち明け話が書いてあります。「やれやれ、ようやく、長ぐつとおさらばすることができて、ねこはしんからほっとしましたとさ。」やっぱり、ちょっとは無理していたのね。くすっと笑ってしまいます。息子やお姫様と末永く幸せにね。

「こねこのぴっち」も「長ぐつをはいたねこ」も、明るく愉快でたくましい物語。フィッシャーの絵が、牧歌的でみずみずしい彩りを添えています。読んだら仲間ができたような気分になって、元気が出てきます。

書籍情報

こねこのぴっち ハンス・フィッシャー 岩波書店 1987年

長ぐつをはいたねこ ハンス・フィッシャー 福音館書店 1980年