こんにちは、ママです。前回まで、映画「キャッツ&ドッグス」と続編「キャッツ&ドッグス 地球最大の肉球大戦争」を紹介し、「猫は悪の権化ではない」ということを証明するために、絵本「白猫」を紹介しました。今回は引き続き、「いい猫」を紹介します。絵本「こねこのフーシカ」です。
フーシカは、いつも怒っているこねこ。冷たい雨の降る秋の夕暮れに、捨てられていたところをダニエルじいさんに拾われます。でも、こねこは怒って、小さな前足でパチンとダニエルじいさんの手をたたき、小さな爪でひっかきました。きっと、寒い中ひとりぼっちで、心細かったのでしょう。拾ってもらって、よかったね。きっと、温かいお家に連れて行ってもらって、ごはんをもらえるよ。
ダニエルじいさんの家に連れてこられたこねこは、出迎えた犬や小鳥、ふくろうに対しても、「ふうっ」とおどします。いきなりたくさんの動物に出迎えられて、びっくりしちゃったかな?ダニエルじいさんは、こねこのために物置の奥に居場所を用意し、温かいミルクをあげます。こねこちゃん、よかったね。
ところが、こねこは「ふうっ」とダニエルじいさんを追っ払ってから、ミルクを飲み始める始末。とうとう、いつもフーとおこっているから「フーシカ」という名をダニエルじいさんにつけられてしまいます。いやいや、きっと、怒ってるんじゃなくて、こわいんだよね。慣れればフーって言わなくなるよね、こねこちゃん?
ここまで読んできましたが、この「フーシカ」は、よく言う「いい猫」には見えません。でも、いい猫じゃないと、この記事のタイトルを変えなければならなくなります。やっぱり、「いつも怒っているから今後もフーシカ」なのでしょうか?
みんながお家で夕食を取る中、ひとりぼっちのフーシカは、お人形を見つけます。お人形を、ダニエルじいさんが自分のために用意してくれた箱に持って行き、お友達にします。そうしているうちに、フーシカは、疲れて寝てしまいます。
何だか、ここまで読んだとき、フーシカと小さい頃のゾーイが重なってとっても切なくなってきました。ゾーイが我が家に来たときには、ママは外出することが多く、日中は一人でいました。また、初めは寝室にゾーイを迎える準備が間に合わず、別の部屋で寝てもらっていました。ママはゾーイが心配で、毎晩何回か起きて様子を見に行ったのですが、ゾーイはとても健気に頑張っていました。まるで、「あたしは大丈夫、寂しくなんかないもん」と自分に言いきかせているように。
赤ちゃんだったゾーイは、全然平気なんかじゃなかったと思います。だとしたら、フーシカだって、本当はさみしいのかもしれません。だって、そうでなければ、「ぼくは、だれかの家のねこにはならない。・・・ぼくはただ ここがきにいったから、ここにすむことにするんだ」というセリフが、どこから出てくるんでしょう!
ダニエルじいさんの家(というか、ものおき)の生活にも慣れてきたのに、フーシカは誰のことも「フーッ!」とおどし続けます。でも、フーシカも、ときどき、怒りんぼをやめようかなと思うことはあるんです。みんなの輪の中に入ろうかと思うこともありました。でも、なかなかそうできません。お家の中では、みんな楽しそう・・・。このあたりに描かれているフーシカの心の動きが、みんなには素直じゃないフーシカなのに、とても素直で、切なさが募ります。でも、フーシカの怒りんぼ生活はしばらく続き、葛藤も続きます。
そんな中、具合の悪くなったダニエルじいさんを動物たちが助ける場面がやってきます。フーシカはどうやって助けたのでしょうか?ここはぜひ、絵本を読んでください。ママは、フーシカがダニエルじいさんを助けたくだりを読んだとき、涙があふれてきました。フーシカ、やっぱり今まで辛かったんだね。ダニエルじいさんを、フーシカなりに一生懸命考えて、助けてあげたんだね。
みんなとごはんを食べるようになったフーシカは、独白します。「ぼくは、だれかの家のねこにはならない。・・・ぼくはただ、みんなといっしょにたべるのがたのしいから、気がむいたときには、そうするんだ」本当に、フーシカは「猫」なんだから!猫だから、自分なりに理由が必要なんだよね。
こうして、フーシカは「いつも怒ってたけれどもう怒ったりしないフーシカ」になりました。ダニエルじいさんに甘えて、のどをゴロゴロ鳴らします。次にくる「ぼくは、だれかの家のねこにはならない。・・・だから・・・」のセリフは、どのように続いていくのでしょうか。これもぜひ、絵本を読んでみてください。
フーシカは、怒りんぼだったけれど、本当はとってもいい猫なんです。自分の気持ちに素直になれなかっただけ。素直になれないことと「いい猫」ではないことは同じではない。それに、ダニエルじいさんのピンチを、とっても心優しい方法で助けました。君は、本当は、いい子なんだよ。
ママは、ゾーイに対して抱いていた切なさとフーシカに感じていた切なさを重ねてしまっていましたが、フーシカが「いい猫」であって、本当に良かったと思っています。ママは、うちに来たばかりのゾーイに毎晩寂しい思いをさせてしまって、罪悪感を持っていました。その時のゾーイの寂しさを埋めるように、ママは全身でゾーイを愛しました。この絵本を最後まで読むと、フーシカの幸せによって、その時のゾーイに対してママが捨てきれずにいた罪悪感が昇華される気がするんです。
また、この本は、小さいお子さんがいるお母さんにもぜひ、お子さんと一緒に読んでもらいたいと思っています。子どもって、素直になれないときがありますよね。ママも覚えがあります。そんな時、子どもはきっと、自分の気持ちを正当化しようと思って、心の中で「だからこれでいいんだ」という理由をつけているんですよね。
そのくせ、本当はもっと素直に甘えたり、「こうしようよ」って言ったりしたいのは、自分でもちゃんとわかってる。心を開いて、エイヤーっといっちゃえば楽になれるのに、子どものうちは、どうしてもそうできない。子どもがそんな葛藤を抱える場面は、本当に多いと思います。そんな時、この絵本をぜひ、お子さんと一緒に読んでもらいたいと思うんです。フーシカを通して、子どもの中でもう一つの葛藤が起き、それが解決されたとき、心が一つ成長するのではないかと思います。
書籍情報
こねこのフーシカ 松井スーザン 童心社 2001年