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	<title>エッセイ、小説など</title>
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	<description>世界は猫と愛にあふれている</description>
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	<title>エッセイ、小説など</title>
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		<title>イギリスの家庭はこんな感じ～「ソフィーと黒ネコ」の紹介</title>
		<link>https://koneko-harappa.net/2022/03/17/sofii-to-kuroneko/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[ママ]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 17 Mar 2022 10:30:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ゾーイとウーゴの成長日記]]></category>
		<category><![CDATA[エッセイ、小説など]]></category>
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					<description><![CDATA[こんにちは、ママです。こんにちは、ママです。最近、ウーゴの甘え方が変わってきました。ソファーに座っているママの体の上にどっかりと座りこんで、ゴロゴロいうんです♡以前からフミフミはよくしてくる子でしたが、最近は、一度座り込 [&#8230;]]]></description>
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<p>こんにちは、ママです。こんにちは、ママです。最近、ウーゴの甘え方が変わってきました。ソファーに座っているママの体の上にどっかりと座りこんで、ゴロゴロいうんです♡以前からフミフミはよくしてくる子でしたが、最近は、一度座り込んだら40分ぐらい動きません。</p>



<p>ママが姿勢を変えてもどこかに行くこともなく、上手にバランスを取りながら自分も座る位置を変えます。パパはちょっとうらやましそう。へへーん、これ、ママの特権。でも、パパは、ゾーイに熱烈歓迎されているから、お互い様。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img fetchpriority="high" decoding="async" width="1200" height="900" src="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/03/DSC_1207-1200x900.jpg" alt="" class="wp-image-1684" srcset="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/03/DSC_1207-1200x900.jpg 1200w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/03/DSC_1207-640x480.jpg 640w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/03/DSC_1207-768x576.jpg 768w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/03/DSC_1207-1536x1152.jpg 1536w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/03/DSC_1207-2048x1536.jpg 2048w" sizes="(max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></figure>



<p>さて、今回は、児童向け文学作品「ソフィーと黒ネコ」の紹介です。主人公は5歳の誕生日を迎えたソフィーという女の子。自分の部屋の壁には、四枚の絵。牛、メンドリ、ポニー、豚。お母さんが書いてくれました。それにしても、なんでこの絵なんでしょう？女の子なら、とステレオタイプにはめるのはよくないですが、猫とかお花とかは好きではないのでしょうか？ソフィーは、「女牧場マン」になるのが夢なんです。</p>



<p>それを言うなら、「牧場ウーマン」なのでは？というツッコミは置いておいて、そっか～、牧場が好きなのね。だから、牛やメンドリの絵なんだ。ソフィーは意志の強い子です。だから、家族はみんな、ソフィーが大きくなったら夢をかなえて、「牧場ウーマン」もとい、「女牧場マン」になると信じています。</p>



<p>ソフィーの誕生日はクリスマスの日。だから、プレゼントを二つずつもらいます。お父さんとお母さんからは、牧場の模型と牛やメンドリのおもちゃ、二人のお兄さんたちからは、黄色いトレーラーがついた、真っ赤なトラクター。お兄さんたちは子どもでお金がないので、トラクターが誕生日プレゼントで、トレーラーがクリスマスプレゼント。みんな、ソフィーの夢を応援します。温かい心づかいのプレゼント。</p>



<p>牧場の模型やトラクター、メンドリのおもちゃで遊んでいるうちに、家族とちょっと言い争いになってしまいました。あ～あ、せっかくのクリスマスと誕生日なのに。でも、子どもはよくありますよね。ソフィーはプンプンしながら庭に出て、「マッタク、ワカランチンだねぇ！」と怒ります。すると、「ネエェー！」と返事が聞こえました。見ると、塀の上に、大きな丸いオレンジの目をした、まっ黒い猫がいました。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="795" height="1200" src="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/03/DSC_1271-1-795x1200.jpg" alt="" class="wp-image-1686" srcset="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/03/DSC_1271-1-795x1200.jpg 795w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/03/DSC_1271-1-424x640.jpg 424w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/03/DSC_1271-1-768x1160.jpg 768w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/03/DSC_1271-1-1017x1536.jpg 1017w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/03/DSC_1271-1-1356x2048.jpg 1356w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/03/DSC_1271-1-scaled.jpg 1695w" sizes="(max-width: 795px) 100vw, 795px" /></figure>



<p>「どこのうちの子なの？」と聞くソフィーに、「ソフィーノ、ニャン！」と返事をするネコ。たぶんそういったのではないと思いますが、「女牧場マン」を目指すソフィーはまず、猫にごはんをあげようと思いつきます。クリスマスは、みんなおなかいっぱいにならなくちゃね。ソフィーは猫にトムと名付けて、牛乳で乾杯します。ちなみに、トムというのは、オスだから。英語では、雄猫のことをTomcatといいます。</p>



<p>猫を見つけて「外に出しなさい」と怒るお母さん。ソフィーは自分も長靴をはいて、オーバーを着てきました。外は寒いからね。ソフィーは自分も外に出るつもりなのです。外に出るときに、お母さんをジロリと見て、一言、「でもさあ、ネコだって、外に出たらさむいよね」。・・・まったく、5歳のソフィーは大したものです。生き物が本当に好きなんだね。</p>



<p>紆余曲折を経て、お母さんがくれたものは、大きなオレンジ色の目をした、小さな黒猫のお人形。お母さんも、粋なことをしますね。こうして、トムはソフィーの猫になりました。</p>



<p>この物語は、一般的なイギリスの家庭を舞台に描かれています。玄関ホールには大きな時計、クリスマスには暖炉のそばに大きなツリー。庭や物置小屋があるところを見ると、ロンドンのような大都市の住宅街に住んでいるのではないのかもしれません。末っ子のソフィーと、ソフィーをからかうお兄ちゃん。こんな光景も、イギリスの家庭ではよく見る光景なのでしょう。</p>



<p>でも、ママはこの本を読んで、デジャブを覚えました。ソフィーと似ている女の子が出ている映画、どこかで観たことがあるような・・・。そう、スウェーデンの「ロッタちゃん」シリーズです。「ロッタちゃん　はじめてのおつかい」や「ロッタちゃん　赤いじてんしゃ」を見た人も多いと思います。ロッタちゃんは、自己主張が激しくて、大人には理解しにくい理屈があって、大人から見ればちょっと「メンドクサイ」子ですよね。</p>



<p>ロッタちゃんには、お兄ちゃんに言い負かされて隣のベルイおばさんの家の物置に家出をしてしまったりするシーンがありますが、これがソフィーでも同じことをしそう。ママも子供のころは好きなものと嫌いなものがはっきりしていて、セーターの袖についていたイチゴやサクランボの編みこみが、「コドモっぽく」感じられて、それを着させられるたびに激しい抵抗をしていました。ママのママに「これ、かわいいじゃない」と言われても、頑として受け入れなかったのを覚えています。</p>



<p>でも、一方でママには気にしすぎなところもあって、ロッタちゃんとはちょっと似ているところがあるけれど、ソフィーとはちょっと違うタイプでした。来年5歳になる我が家のゾーイは、もっと「少女」。素直だでこだわりはなく、ロッタちゃんのような繊細さも、ソフィーのようにどっしりした感じもありません。女の子って、いろいろいるんですね～。</p>



<p>ソフィーは冬休みが明けたら学校へ行きます。イギリスのパブリック・スクールでしょうか。ブラウスにベスト、プリーツスカートをはいて、黒い靴下と靴を履いているソフィーは、なかなかかわいいじゃない。未来の「女牧場マン」には見えません。</p>



<p>でもソフィーは不満そう。どうしてスカートをはかなきゃいけないの？「せいふくを着なくちゃいけないなんて、ワカランチンだよ！」と不機嫌顔。ワカランチン、なんて、意味は分かるけれど、イギリスの下町言葉なのかしら？やっぱり「女牧場マン」が似合うな。</p>



<p>学校で友達もできました。大食いのダンカンと、永遠のライバルのドーン。ダンカンは優しい性格で、ドーンは、ソフィーとは違って、見るからに「女の子」。しかも、ドーンも気の強い女の子で、ソフィーとは気が合いません。ダンカンを巡って、火花を散らします。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1200" height="900" src="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/03/DSC_1285-1200x900.jpg" alt="" class="wp-image-1687" srcset="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/03/DSC_1285-1200x900.jpg 1200w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/03/DSC_1285-640x480.jpg 640w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/03/DSC_1285-768x576.jpg 768w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/03/DSC_1285-1536x1152.jpg 1536w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/03/DSC_1285-2048x1536.jpg 2048w" sizes="(max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></figure>



<p>ところで、トムは、初めにソフィーの飼い猫になって以来、時々姿を見せる「外ネコ」になっているようです。男勝りのソフィーと会話している様は（と言っても、ソフィーの脳内ですが）、男同士の友達のよう。ソフィーの日々と、ソフィーの家族と、トムが時々交錯しながら、毎日が楽しく過ぎ去っていきます。でも、ソフィーの一番の味方のアルおばさんの知恵のおかげで、トムにも新しい生活がやってきました。5歳のソフィーと81歳のあるおばさん、なかなかいいコンビです。</p>



<p>おしゃまというのとは違うけれど、自分をしっかりと持っている5歳のソフィー、ママの目にはとっても頼もしく映ります。学校でのお絵かきはもちろん、牧場。家族に「これは何？」と聞かれても、「ブタに決まってる」と動じません。フンの山だって描いちゃいます。現実的な「牧場経営」ですね（笑）。</p>



<p>この物語、ロッタちゃんの映画のように、ソフィーの毎日が描き出されます。山場があるわけでも、大きなメッセージがあるわけでもありませんが、ソフィーが5歳なりに精いっぱい行動する様やものごとを感じて追っている様が生き生きと描かれています。ソフィーと同じ年代の子供は、この本を読んで、どんなことを感じるのでしょうか。また、最後にはおっとびっくりしてしまう「どんでん返し」があります。ぜひ、手に取ってみてください。</p>



<h3 class="wp-block-heading">書籍情報</h3>



<p>ソフィーと黒ネコ　ディック キング=スミス　評論社　2004年</p>


<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/%E3%82%BD%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%81%A8%E9%BB%92%E3%83%8D%E3%82%B3-%E5%85%90%E7%AB%A5%E5%9B%B3%E6%9B%B8%E9%A4%A8%E3%83%BB%E6%96%87%E5%AD%A6%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B-%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF-%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0-%E3%82%B9%E3%83%9F%E3%82%B9/dp/4566013316?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&amp;crid=2CWFH0H8JQGOD&amp;keywords=%E3%82%BD%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%81%A8%E9%BB%92%E3%83%8D%E3%82%B3&amp;qid=1647506804&amp;s=books&amp;sprefix=%E3%82%BD%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%81%A8%E9%BB%92%E3%83%8D%E3%82%B3%2Cstripbooks%2C175&amp;sr=1-1&amp;linkCode=li2&amp;tag=konekoharappa-22&amp;linkId=9ced8c15af6324ae9a57e72dfdbdcfea&amp;language=ja_JP&amp;ref_=as_li_ss_il" target="_blank"><img decoding="async" border="0" src="//ws-fe.amazon-adsystem.com/widgets/q?_encoding=UTF8&amp;ASIN=4566013316&amp;Format=_SL160_&amp;ID=AsinImage&amp;MarketPlace=JP&amp;ServiceVersion=20070822&amp;WS=1&amp;tag=konekoharappa-22&amp;language=ja_JP"></a><img loading="lazy" decoding="async" src="https://ir-jp.amazon-adsystem.com/e/ir?t=konekoharappa-22&amp;language=ja_JP&amp;l=li2&amp;o=9&amp;a=4566013316" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;"></p>
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		<item>
		<title>珠玉の猫作品アンソロジー～「作家と猫」の紹介</title>
		<link>https://koneko-harappa.net/2022/03/10/sakka-to-neko/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[ママ]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 10 Mar 2022 10:30:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[エッセイ、小説など]]></category>
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					<description><![CDATA[こんにちは、ママです。今回は、「作家と猫」の紹介です。この本は、昭和から現代の作家・漫画家・イラストレーターなど文筆家と言われる人たちにより書かれた猫についてのエッセイや漫画を収録した珠玉のアンソロジーです。文筆家たちが [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p>こんにちは、ママです。今回は、「作家と猫」の紹介です。この本は、昭和から現代の作家・漫画家・イラストレーターなど文筆家と言われる人たちにより書かれた猫についてのエッセイや漫画を収録した珠玉のアンソロジーです。文筆家たちが猫とどのように出会い、暮らし、別れを迎えたかが、豊かな愛情をこめてみずみずしく描かれています。</p>



<p>文筆家たちは、どうしてこんなに猫が好きなのかしら？集められたエッセイや漫画には、猫のしもべと化しているという描写も多く見られます。例えば、大佛次郎は、猫が大好き。生涯を通して500匹との猫と暮らした（！）なんて言う武勇伝もあるくらいです。でも大佛は、冬は猫が障子にあけた穴から寒い風が吹き込むので寒くて仕方がないと書いています。</p>



<p>大佛は、借家を出るときに、猫が自由を満喫しつくしてボロボロになったところをすべて修繕して出ていったそうです。猫を愛するがあまり、こうしたことをこなすのも嬉しくて、責任を全うするのでしょう。ママも、ゾーイやウーゴのための買い物が嬉しくて、ホームセンターへ行くときには足取りが軽くなってしまいます。ウンチを取るのだって楽しい、それを入れる袋を買うのも、人間用のごみ袋を買う時よりもずっと嬉しい。そう書くとちょっとヘンな人みたいですが（笑）、大佛もこんな気持ちだったのかもしれないなと思います。</p>



<p>金井美恵子は「猫と暮らす12の苦労」と題して、猫に布団を取られるので風邪をひくとか、旅行に行けないとか、8キロもあるけがをした猫を病院に運ばなければならないとか、段ボール箱を捨てられないとか、困っていることを説明します。12の苦労はどれも、みんなが来た道、行く道です。でも、最後は「しかし、それでも、トラーは何と言ってもかわいいのである」と締めています。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" decoding="async" width="1200" height="900" src="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/03/DSC_0451-1200x900.jpg" alt="" class="wp-image-1644" srcset="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/03/DSC_0451-1200x900.jpg 1200w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/03/DSC_0451-640x480.jpg 640w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/03/DSC_0451-768x576.jpg 768w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/03/DSC_0451-1536x1152.jpg 1536w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/03/DSC_0451-2048x1536.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></figure>



<p>こうした「表現のプロ」の人たちの文章や絵は、ママなんかがとてもじゃないけれどまねできないほど（当たり前ですが）、鋭い観察と着眼をもって猫を見て、技術力をいかんなく発揮して作品に余すところなく表現しています。読んでいると、普段の猫の行動が、とても尊く、いさぎよく感じられます。きっと、こうした職業の人たちは、対象を自分と重ねてみたり第三者的に見たりと、自在な視点を持っているのでしょう。冷静さとあふれんばかりの猫愛が、見事にブレンドしています。</p>



<p>このことを、開高健は「詩人、小説家、音楽家で猫を愛する人が多いのは、猫の与えてくれる孤立の精妙さのためで、それによって現世で傷ついた自分の誇りや自負の、理想的な実現を、ふと読まされるからではないか」と言っています。猫と戯れていると、自分が受けた嫌な出来事やそれによって抱く悪い感情がどこかへ飛んで行ってしまう。それは、甘えん坊（でない猫もいますが）であるけれど媚びないという猫の性格が、「いざこざなんて、どうってことないよ」と言ってくれているように思えるからでしょう。</p>



<p>猫の持つ「孤独さ（孤立）」は、赤ちゃんの持つ無心さと通じるところがあると思います。猫が私たちに言ってくれる「どうってことないよ」という言葉は、人間の相談相手に言われるのとは全く違った意味を持っています。それは、文脈があっていっているわけではないところ。相談相手は、状況を聞いて、相手を知って、自分の経験からアドバイスをしますが、猫はどちらかというと「そんなこといいから、遊ぼうよ～。」と言っているようです。どんな無垢なところに打たれ、私たちは、「また頑張るか」と言って戦線復帰するのでしょう。</p>



<p>ちなみに、開高はこうも言っています「さて、荒涼とした私はしばらく猫とたわむれ、侮辱されたり媚びられたりするままになってから、傷つくことなく人間の孤立や反逆の無様のことを考え、（中略）わが小説の登場人物のところへ戻ってゆく。そして傷つくのである。」やっぱり、また傷つくのね（笑）。ゾーイとウーゴに慰めてもらいながら、ママも毎日頑張らないと。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" decoding="async" width="900" height="1200" src="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/03/DSC_0554-900x1200.jpg" alt="" class="wp-image-1645" srcset="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/03/DSC_0554-900x1200.jpg 900w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/03/DSC_0554-480x640.jpg 480w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/03/DSC_0554-768x1024.jpg 768w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/03/DSC_0554-1152x1536.jpg 1152w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/03/DSC_0554-1536x2048.jpg 1536w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/03/DSC_0554-scaled.jpg 1920w" sizes="auto, (max-width: 900px) 100vw, 900px" /></figure>



<p>面白いのが、寺山修司。猫の辞典と題し、猫の定義をあげています。「猫・・・・・・ヒゲのある女の子」「猫・・・・・・謎解きしない名探偵」「猫・・・・・・財産のない快楽主義者」などなど。猫って、人間のことを本当によく見ていますよね。また、部屋の隅から何か（ごみとか以前なくしたボールとか）を見つけてきます。新しいものは、すぐに感づいて飛んでくる。でも、そのくせ別に謎解きなんかしたくない。その通りだと思います。また、プレゼントにおもちゃやベッドを買ってあげても、商品よりも段ボール箱の方が好きだろいうのは「猫あるある」ですよね。</p>



<p>鋭い観察眼と秀逸な表現の寺山。でも彼はここで終わりません。「猫・・・・・・この世で一番小さな月を二つ持っている」。ああ、なんて素敵なことば。猫の目は本当に美しいな、と、知っているくせに、読んだ瞬間もう一度記憶を呼び覚まされます。その時に感じるのは、草原の風でしょうか？明るい月夜の透明な空気でしょうか？それとも、碧い湖の底でしょうか？ママはここを読んだとき、猫を飼っていて本当に良かったと思いました。これからゾーイとウーゴの目を見るたび、感じる美しさに深みを与えてもらえる気がします。</p>



<p>極め付き。「猫・・・・・・このスパイは　よくなめる」。脱帽です。</p>



<p>絵を描くプロも、負けてはいません。漫画家のいがらしみきおは、代表作「ぼのぼの」が大人気ですよね。昔ママも大好きで、漫画やスクリーンセーバーを持っていました。のんびりした中にきりっと光る瞬間が走る、あの独特の世界観がたまりません。いがらしの作品は、「猫よ猫よ猫よ」と題して4コマ漫画が4品掲載されています。</p>



<p>「電気釜に乗るなって」と飼い主に注意された猫ちゃん。廊下を歩いていて、飼い主に「なんでこんなところにウンコ落ちてんだよ」とまたしても注意された猫ちゃん（いがらしはウンコネタが好きですよね）。どちらの作品も、その後に続く3コマは猫ちゃんだけが描かれているのですが、目の開き具合や向き、顔の向きが微妙に違って、じーっと見ていると、どこにも書かれていない猫ちゃんのセリフが浮かび上がってきます。</p>



<p>どんなセリフが見えてくるのかは、人によるのだと思いますが、感じたセリフを教えっこしても面白いと思います。他人がつけたセリフを聞いていると、感性が刺激されるかもしれませんね。「秘すれば花」と言いますが、猫ちゃんが表情だけで語っているだけに、何とも言えない面白さがにじみ出てくる、とても余韻のある作品です。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" decoding="async" width="1200" height="900" src="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/03/DSC_0436-1200x900.jpg" alt="" class="wp-image-1646" srcset="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/03/DSC_0436-1200x900.jpg 1200w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/03/DSC_0436-640x480.jpg 640w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/03/DSC_0436-768x576.jpg 768w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/03/DSC_0436-1536x1152.jpg 1536w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/03/DSC_0436-2048x1536.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></figure>



<p>小説家の小池真理子は、猫の素晴らしさは宇宙の深淵と同じで言葉で語りつくせるものではないと言っています。また、猫が死んで悲しいのは、「どうして猫はかわいいか」「猫は自分に何を与えてくれる（た）のか」という問いに十分な答えを見いだせないままお別れになってしまうからということもあると、ママは思います（<a href="https://koneko-harappa.net/2022/02/12/nekozoku-no-yobanashi/" title="三千世界の猫たちに感謝～「ネコ族の夜咄」の紹介">「三千世界の猫たちに感謝～『ネコ族の夜咄』」</a>の記事を読んでね！）。</p>



<p>この問いに対しては、今回紹介した「作家と猫」の本で開高健が言っている通り、「その純真無垢なところが、人間の現世の傷をいやしてくれるから」という一つの答えが与えられたと思います。そこに気づいているからこそ、文筆家たちは出会いや別れの様子を綴ったり（尾辻克彦や三谷幸喜など）、迷いネコの広告を作ったり（内田 百閒）、猫の純真さと人間の感情を比べて反省文を書いたり（幸田文など）と、日常の中の光を拾い集める作業をしているのではないかと思います。ここに並べて書くには大変おこがましいけれど、ママも、ゾーイとウーゴのことを綴っていく中で、美しい思い出を忘れないように集めたり、忘れていた思い出を探してとどめたりしているのは、「日常の無心な経験が永遠になる」と信じているからです。</p>



<p>ちょっと分厚い本だけれど、読んでいるとゾーイとウーゴがどれだけかけがえがない存在なのかが実感できます。その時の気分で拾い読みするだけでも、心が癒され、戦線復帰できます。いろいろな文筆家の作品を一度に読みたい人にもおススメの本です。</p>



<h3 class="wp-block-heading">書籍情報</h3>



<p>作家と猫　平凡社　2021年</p>


<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/%E4%BD%9C%E5%AE%B6%E3%81%A8%E7%8C%AB-%E5%B9%B3%E5%87%A1%E7%A4%BE/dp/4582747116?crid=37X62JQYOM6P0&amp;keywords=%E4%BD%9C%E5%AE%B6%E3%81%A8%E7%8C%AB&amp;qid=1646898090&amp;sprefix=%E4%BD%9C%E5%AE%B6%E3%81%A8%E7%8C%AB%2Caps%2C210&amp;sr=8-1&amp;linkCode=li2&amp;tag=konekoharappa-22&amp;linkId=cb300501605c411e6b6c4cd9cc69ab9d&amp;language=ja_JP&amp;ref_=as_li_ss_il" target="_blank"><img decoding="async" border="0" src="//ws-fe.amazon-adsystem.com/widgets/q?_encoding=UTF8&amp;ASIN=4582747116&amp;Format=_SL160_&amp;ID=AsinImage&amp;MarketPlace=JP&amp;ServiceVersion=20070822&amp;WS=1&amp;tag=konekoharappa-22&amp;language=ja_JP"></a><img loading="lazy" decoding="async" src="https://ir-jp.amazon-adsystem.com/e/ir?t=konekoharappa-22&amp;language=ja_JP&amp;l=li2&amp;o=9&amp;a=4582747116" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;"></p>
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		<item>
		<title>「猫さん」は家族？家の主人？～『なぜ、猫とつきあうのか』の紹介</title>
		<link>https://koneko-harappa.net/2022/02/24/naze-neko-to-tsukiau-noka/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[パパ]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 24 Feb 2022 10:30:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[エッセイ、小説など]]></category>
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					<description><![CDATA[こんにちは、パパです。いいかげん久しぶりですが、また、本の紹介をさせてください。このあいだ、ママの紹介記事「男の子は、こうして成長するんだね～『ルドルフとイッパイアッテナ』の紹介」を読んで、思うところがありました。外に出 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p>こんにちは、パパです。いいかげん久しぶりですが、また、本の紹介をさせてください。このあいだ、ママの紹介記事<a href="https://koneko-harappa.net/2022/02/06/rudoruhu-to-ippaiattena/" title="「男の子は、こうして成長するんだね～『ルドルフとイッパイアッテナ』の紹介」">「男の子は、こうして成長するんだね～『ルドルフとイッパイアッテナ』の紹介」</a>を読んで、思うところがありました。外に出て遠いところまでつれていかれてしまった元家猫のルドルフと、彼が出会った野良猫イッパイアッテナの話には、二匹の猫にちょっと「昭和な猫」の関係性が見て取れるように思ったのです。で、その昭和な「猫と猫の関係」、「人間と猫の関係」の変化を語っているのが、この本です。この当時、たぶん南伸坊とか赤瀬川源平、藤森照信の「考現学」というのが、流行っていた時期だったと思うので、「猫の考現学」みたいなことをねらったのかも知れません。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" decoding="async" width="1200" height="900" src="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_2556-1-1200x900.jpg" alt="" class="wp-image-1594" srcset="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_2556-1-1200x900.jpg 1200w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_2556-1-640x480.jpg 640w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_2556-1-768x576.jpg 768w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_2556-1-1536x1152.jpg 1536w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_2556-1-2048x1536.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></figure>



<h3 class="wp-block-heading" id="インタビュー本として"><span id="toc1">インタビュー本として</span></h3>



<p>著者の吉本隆明は、パパの世代にとっては詩人として、また『共同幻想論』や『マス・イメージ論』・『言語にとって美とは何かⅠ・Ⅱ』などの評論を世に問うた人として有名ですが、作家の吉本ばななや漫画家のハルノ宵子が娘であると言うと分かる人もいるのかな。この本は、ミッドナイト・プレスという詩の出版社から1995年（平成6年）に刊行され、1987年（昭和62年）から1993年（平成4年）にかけて行われたインタビューをもとに構成されたものだそうです。インタビュアーは詩人の岡田幸文と山本かずこ。吉本隆明に「猫」を語らせるというこの企画自体は、他の方があるところで言っているようにそこまで成功しているようにも思いません。晩年の吉本さんの講演をテレビで観たことがありますが、その時の印象と同じで少し繰り返しが多く、冗長な印象を免れない感じです。それでもテレビでは語り手の「生」の息づかいや思考のリズムが伝わってくるのでそれでもいいし、何しろ当時の吉本は家のなかでは這うように移動していたらしく（本書解説にもそのようなくだりがあります）、座ったままで登場して、むしろ熱気のようなものすら感じました。ただ、雑誌のインタビューとして活字で読むと、この語りは少しすっ飛ばして読みたい感じはあります。</p>



<h3 class="wp-block-heading" id="あじわいある語り口"><span id="toc2">あじわいある語り口</span></h3>



<p>けれども、慣れてくるとやはり味わいがあり、隆明先生の座敷に入ってくる野良猫や飼い猫の気配を感じながら、茶飲み話の気分で、「この間はどこまで言ったっけ…？　あああの猫さんの話」みたいな感じで会話が細い路地を折れ曲がりつつ進み、それこそ猫のように興味に応じて妙なところに連れて行かれ、知らない「場」に引き入れられるかと思うと、また元の大通りに出てきたりする。そんな感じなのです。よく知った大通りも一歩路地裏に入れば、そこに思ってもみなかった知らない関係性の世界があることを感じさせる。そして、知らない下町の路地裏に迷い込んだ子猫のように周囲の他者たちの濃密な関係性との距離を測りかねてうろたえている自分に気づき、その厳しい場所でしなやかにたくましく生きている外猫の世界をリアルに感じとる。そんな印象です。（吉本さんの語り口については、YouTubeを検索すると糸井重里が聞き手になって当時の茶の間で語っている姿を見ることができるかと思います。）</p>



<h3 class="wp-block-heading" id="昭和な猫-と下町の少年"><span id="toc3">「昭和な猫」と下町の少年</span></h3>



<p>前に紹介した<a href="https://koneko-harappa.net/2022/01/16/nekogo-no-nooto/" title="『猫語のノート』">『猫語のノート』</a>の著者ポール・ギャリコは、別の本『猫語の教科書』で外猫が人間の家を「乗っ取っていく過程」を描いています。（この本についてもいずれ紹介したい。）しかし、吉本の見方はそれとは少し違う。吉本は子どものころ、新佃島に住んでいた。そこでは「猫はいつのまにか家に居つき、いつのまにか家から去ってゆく生き物だとおもっていた」と言います。吉本はそのころよくいた子どもと同様「二本鼻汁を垂らしてい」たそうです。それでそれを「よく猫になめてもらっていた」と言い、「その親密さは度外れていたとおもう」とも述懐しています。というか、ちょっと…！！。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" decoding="async" width="1046" height="1200" src="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_2255-1046x1200.jpg" alt="" class="wp-image-1590" srcset="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_2255-1046x1200.jpg 1046w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_2255-558x640.jpg 558w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_2255-768x881.jpg 768w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_2255-1338x1536.jpg 1338w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_2255-1784x2048.jpg 1784w" sizes="auto, (max-width: 1046px) 100vw, 1046px" /></figure>



<h3 class="wp-block-heading" id="横に親和して住む猫"><span id="toc4">横に親和して住む猫</span></h3>



<p>最近のある統計では猫の飼い方では、室内飼いが70％程度だそうで、この飼い方のほうが一般的です。しかし、ここに展開されている「昭和な猫たち」の世界はそれとは違います。もちろん室内飼いのほうが圧倒的に寿命も長くなりますので、現代の飼い主としてはこちらを選択する方が多いわけですが、本来の猫というか、もともとの猫というか、「昭和な猫」というか、「イッパイアッテナのような猫生」というかを垣間見て、少し感じたり考えたりする部分もあるように思います。吉本は批評家だけあって、こんなことを言います。</p>



<p>「猫は人につくのではなく家につくというのは、ほんのすこし言い方がちがうような気がする。人は  竪（たて）に親和して住むのに猫は横に親和して住むと言った方がよいのではなかろうか。わたしの家で親和感をしめしている猫が、見知らぬ家でもおなじような親和感をしめしていることがありうる気がする。だから新しく引っ越した家で逃げられてしまったとしても、どこかでまた親しい家を見つけて暮らしていることは間違いないとおもえる。（引用者割り込み：といっても現在では「間違いない」とは思えないですね）ほんのすこし人間の愛惜感と猫の愛惜感とは勘どころが違っている気がするが、猫の人間にしめす愛惜感もほんとうなのだとおもえる。そしてこの勘どころの違いが、あるばあい相互に素っ気なくみえたり、過剰な親和性にみえたりする個所にちがいない。」</p>



<p>ポール・ギャリコの『猫語の教科書』にも、別宅を持つ猫のことがかかれていますが、吉本の視点は少し違っているようです。猫が「横に親和している」「横に生活している」というのは、人間の家を猫が所有しているというのとは違うとらえ方です。そして、「種族、としての猫はそういう習性なんじゃないでしょうか」と言っています。もしそうだとすると、様々な事情からやむを得ないとはいえ、僕とママも含め猫の室内飼いというのは、本来の猫の習性を変化させてしまっている面があるように思って、立ち止まって考えさせられるところが僕にはあります。ただ、ポール・ギャリコと吉本の猫を見るまなざしの共通点は、猫は人間との関係性としては「人間の所有物」とか「忠実な家来」にはならないということではないでしょうか。そういうことに気づかせてくれる本だと思います。</p>



<h3 class="wp-block-heading" id="生活する人-吉本-のもののみかた"><span id="toc5">「生活する人、吉本」のもののみかた</span></h3>



<p>吉本の猫を観察する観察のしかたは、批評家としてというよりも詩人としての感性が、より発揮されているのかもしれません。論理というよりも、ある種の「感じ」とか「気配」のほうにより信頼を寄せているように思います。もっとも批評家としても、市井の生活者の感覚に変換しようとして変換できない「ことば」とか、概念とかは、信用しないところがあったと思います。この本ではだいたい、「見ていますと…」とさりげなくその観察が語られていきます。たとえば、猫は人間のような意味での「個性」というか個人を出発点とする個別性というか、そういうのはあまり感じないというんですね。吉本は、それで「猫にも性格がありますし、それから意識ももちろんあるとおもいますね」といって、猫の性格は、人間の個性とは違って、ペルシャ猫とか、シャム猫とか、日本猫とか…「種族としての性格っていうのがあるとおもうんです」と言っています。そして、ペルシャ種の人なつっこいのに肝心なところには寄せつけない妙に一線引く感じを語っている。こんなふうに吉本は常に自分の実際の観察をもとに語っています。冗長だろうがなんだろうが、平凡だろうが見たまんまだろうが、自分の観察に基づいて、自分の責任で自分の表現したいことを言う。この語り方というのは取り戻せるなら、僕は現代のネット社会にも取り戻したいと思いました。それで、そういう語りの中から、ハトを狩りして家までくわえてくる猫の話が出てきて、朝日新聞に掲載されたオジロワシに野良猫が飛びかかってぶら下がっているように見える写真を「これは僕も見ました」なんて言っている。そういう意味で親しみを持てます。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" decoding="async" width="827" height="1200" src="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_2191-827x1200.jpg" alt="" class="wp-image-1592" srcset="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_2191-827x1200.jpg 827w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_2191-441x640.jpg 441w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_2191-768x1115.jpg 768w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_2191-1058x1536.jpg 1058w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_2191-1411x2048.jpg 1411w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_2191-scaled.jpg 1764w" sizes="auto, (max-width: 827px) 100vw, 827px" /></figure>



<h3 class="wp-block-heading" id="猫の散歩"><span id="toc6">猫の散歩</span></h3>



<p>さて、犬の散歩は人間が散歩につれていくことが必須ですが、猫を連れて歩く飼い主というのはほとんど見たり聞いたりしたことはありません。どこの国だったか、リードもなしに猫をつれて歩く映像は岩合さんの「ネコ歩き」で見てびっくりしたことはありましたが、普通「猫の散歩」といえば、室内飼いではない猫が近所を歩き回るというイメージになるでしょうか。これについても吉本は、冒頭のルドルフ君ではないですが、「猫にとっての冒険」という視点で語っています。インタビュアーが新聞に掲載された「遠くから帰ってきた猫」の話を紹介すると、自分の家の猫がどこか遠くから帰ってきた経験を念頭に「猫から目線」での想像から、「感動的ですね。そんなこと僕にはちょっと信じられない気がします」と言っている。猫にはテリトリーがあって、「漠然とボスの猫さんがいるんですね。」「家出した（吉本家の）猫だって十日間の間どこにいたかっていうのはわからないんですね。やっぱりどっかのテリトリーへ行ってけんかしたんだけど、だめだった。それだから次のテリトリーへいったんだけど、またそこもだめだった。結局傷がだんだん化膿してきて、（中略）ふらふらしながら帰ってきたっていうふうに想像するんですが、（中略）とても遠くから戻ってきたっていうの、（中略）猫の場合はほんとうに珍しいことだと思いますね。」と語っています。こういう立ち位置で「感動的ですね」って言うのが吉本という詩人・批評家なのではないでしょうか。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" decoding="async" width="900" height="1200" src="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_2638-900x1200.jpg" alt="" class="wp-image-1595" srcset="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_2638-900x1200.jpg 900w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_2638-480x640.jpg 480w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_2638-768x1024.jpg 768w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_2638-1152x1536.jpg 1152w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_2638-1536x2048.jpg 1536w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_2638-scaled.jpg 1920w" sizes="auto, (max-width: 900px) 100vw, 900px" /></figure>



<h3 class="wp-block-heading" id="猫と人間の関係"><span id="toc7">猫と人間の関係</span></h3>



<p>そんな猫と吉本というか、猫と吉本家の関係性が昔のもの「昭和的なもの」を引き継いでいながら、吉本自身は時代の流れの中で、何か「猫と人間の関係性」が昔から現在、現在から未来、つまり私たちにとっての現在点へと変化していることにも注目しています。まず、稀な例として畑正憲、つまり「ムツゴロウさん」の例があがっている点に触れておきたいと思います。「ムツゴロウさん」は、猫の専門家というより、動物全般の専門家で、動物であれば何に対しても一貫した態度で接している気がします。吉本はそんな「ムツゴウロウさん」は、普通の人が猫を擬人化してつき合ってしまうのに対して、人間である自分のほうが「猫化」して猫に接している気がすると言っています。それで「子供のときからの先入見でみると、猫と人間の関係は親密化したというのか、それとも飼い猫化したっていうんでしょうか、野性がなくなったといえばずいぶんなくなっているんじゃないでしょうか」とか、「風邪ひいて、うちの猫なんかゼーゼーゼーゼーしてたり、くしゃみしたり、人間とかわらないですね。あんなの子供の頃の猫にはいなかった。」「飼う方でもほっとけば治っちゃうみたいにおもってたけど、いまだったらうちでも獣医さんのとこ行って風邪薬ちゃんともらってきて、飲ませたりしますから、（中略）猫の方もずいぶん人間化したっていうのでしょうか」など言っている。また、この頃はじまったとように思いますが、猫の供養やお墓のビジネスにも触れている。それで、ここが肝心ですが、だからといって吉本は市井の人が猫を擬人化する態度を非難したりしません。こういうところが最近の「一億総つっこみ時代」（マキタスポーツ著）といわれる最近の風潮と違う点ではないかと僕は思います。で、猫に求めるものが人々の中で変化していて、生きづらくなっている世の中で、猫のような生き方というか、猫のように動じないというか、良い距離感でのパートナーというか、コミュニケーションというか、これが求められているのじゃないかみたいなことをおっしゃるわけです。そして、これは簡単にいいことかわるいことか決められないと言っています。</p>



<p>「たぶん動物をかわいがる人たちがふえてきて、かわいがり方のレベルが向上するのかどうか知りませんが、かわいがり方が気になってきたっていうことは、逆に言うと、人間社会の人間関係っていいましょうか、それがきつくなったっていうこととかかわりがある気もします。」</p>



<p>こういうある意味「大人の批評」が出来る人が今いなくなっちゃている、というか、場所がないような感じになっているように思います。あいまいだ、少しわかりにくい、もやもやする。これだでけで敬遠されてしまう。うーん。考えすぎると、猫のように昼寝したくなります。けど、そんな場所ないよね、みたいな…。ウロウロ。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" decoding="async" width="900" height="1200" src="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_2498-900x1200.jpg" alt="" class="wp-image-1591" srcset="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_2498-900x1200.jpg 900w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_2498-480x640.jpg 480w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_2498-768x1024.jpg 768w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_2498-1152x1536.jpg 1152w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_2498-1536x2048.jpg 1536w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_2498-scaled.jpg 1920w" sizes="auto, (max-width: 900px) 100vw, 900px" /></figure>



<h3 class="wp-block-heading" id="ボス猫チャーリーの死"><span id="toc8">ボス猫チャーリーの死</span></h3>



<p>　吉本が衝撃を受けた猫の死として挙げているのが、近所の「ボス猫のチャーリー」の死です。吉本はそれまで、昔の人がよく言ったように「猫っていうのは死ぬときにはどっかにいなくなって、どっかへ行っちゃって死んじゃうんだというふうに」思い込んでいたそうだ。ところがチャーリーの時は違ったといいます。「病気になったら、うちの子供がボール箱の下にホカロンみたいなのを敷いてやって、そのうえに布を敷いてやったら、そこにガタッとこういうふうに寝込みまして、何日かそう寝込んでて、（中略）行くとチラッと目を上げて見るっていうぐらいになって、しかしそのまま大往生というのか、スッと死んじゃいました。」そして、こう述べている。「僕は初めて猫がちゃんと死ぬところを見ましたね。へえっとおもって、猫もこういう死に方やっぱりあるんだとおもいました。死んだとき大往生というか、堂々たるもんでっていいますか、ほんとに寝込んだままでスーッと眠るごとくに死にましてね。貫禄もあるし、性格もおっとりいい性格で、そういうボスだったんですね。」この猫の死に目にあった経験は、よほど心に残ったようで、吉本はこの本の複数のインタビューで触れている。そして、猫の死というものが、人間に与えるショックについて、次のように言っています。</p>



<p>「自分の家で飼っていた猫が何匹か死んで、埋めましたけど、何かそのショックっていうか、悲しさっていうか、そういうの人間の場合とさして変わらない気がします。そこが問題なんだけど、それなら何度かは会ったことがあるような知人が死んだときの悲しさと、うちの飼っていた猫が死んだときの悲しさっていうのと、どっちが悲しいんだっていったら、こっちの悲しみの方が切実でしょ。（中略）これは正直に率直に言ってそうだから、これでいいのかなっておもいます。（中略）要するに、親しい生き物ののその方が切実だっていうことです。悲しみとか、いなくなったときの欠如感とか、とても切実なんだ。」</p>



<p>この吉本のことばを裏づけるような「証言」として、吉本ばななが解説の最後に書いています。</p>



<p>「父がもうほとんど歩けなくて家の中をほとんど這うように移動していた時期のある大みそかに、  私と夫と子どもが実家に着くと、玄関にものすごい「死」の匂いが立ちこめていた。ケージが置いてあり、具合の悪い半野良ちゃんが入っていた。（中略）◇姉が定期的に通院が必要なシロミちゃん（引用者注：別の猫の名前）を連れて病院に行っている間に、その猫は息をひきとった。父はその汚れて臭い亡骸のことを全くかまうことなく、すぐ近くの床にべたりと座って、ほんとうに優しく力をこめてその猫の頭をぐるぐるっと撫でながら「いい猫さんだった、いい猫さんだった」と言った。◇それが私の父と猫との関係の全てだと思えた。（中略）◇父は全身でそこにいたし、猫の死に寄り添っていたし、言葉を捧げていた。◇私は今でもその場面を大切に抱いている。」</p>



<p>いい本だと思います。僕は…。ただ最大の謎、この本が講談社学術文庫に入っていること。まあでも、「猫」だから学術文庫にも横から入ってあたりまえのように横になってそこにいるのかも。</p>



<h3 class="wp-block-heading" id="書籍情報"><span id="toc9">書籍情報</span></h3>



<p>なぜ、猫とつきあうのか　吉本隆明　講談社学術文庫　2016年</p>


<p><iframe style="width:120px;height:240px;" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no" frameborder="0" src="https://rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?ref=tf_til&#038;t=konekoharappa-22&#038;m=amazon&#038;o=9&#038;p=8&#038;l=as1&#038;IS1=1&#038;detail=1&#038;asins=4062923653&#038;linkId=09d4055133db73f128737fff8b5f8398&#038;bc1=ffffff&amp;lt1=_top&#038;fc1=333333&#038;lc1=0066c0&#038;bg1=ffffff&#038;f=ifr"><br />
    </iframe></p>
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		<title>猫の掟は守るべし～「猫の紳士の物語」の紹介</title>
		<link>https://koneko-harappa.net/2022/02/17/neko-no-shinshi-no-monogatari/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[ママ]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 17 Feb 2022 10:30:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[エッセイ、小説など]]></category>
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					<description><![CDATA[こんにちは、ママです。猫は独立心旺盛で自由気まま。遊びに夢中になっても、飽きるとパッとどこかへ行ってしまいます。と、一般的にはよく言われますよね。我が家のゾーイとウーゴは、半分くらい当たっています。独立心はあるけれど、人 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p>こんにちは、ママです。猫は独立心旺盛で自由気まま。遊びに夢中になっても、飽きるとパッとどこかへ行ってしまいます。と、一般的にはよく言われますよね。我が家のゾーイとウーゴは、半分くらい当たっています。独立心はあるけれど、人並みであって、「旺盛」ではありません。自由気ままだけれど、見ていると、生活のかなり中心に近いところには、パパとママがいるような気がします。遊びに飽きるとどこかへ行ってしまうけれど、たいていママが遊ばせ疲れるほうが先。それぞれが「ママと二人で遊びたい」と思っているので、二人に焼きもちを焼かせずに満足いくまで遊ばせるのって、大変なんです。</p>



<p>二人が飼い猫だからか、パパとママが二人のことを「娘と息子」だと思っているからか、ゾーイとウーゴは、猫なんだけれどどこか猫でもないような、フクザツな印象の二人に育ちました。こうなってくると、「飼い猫」という新ジャンルを作りたくなります。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" decoding="async" width="1039" height="1200" src="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0337-4-1039x1200.jpg" alt="" class="wp-image-1584" srcset="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0337-4-1039x1200.jpg 1039w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0337-4-554x640.jpg 554w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0337-4-768x887.jpg 768w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0337-4-1330x1536.jpg 1330w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0337-4-1773x2048.jpg 1773w" sizes="auto, (max-width: 1039px) 100vw, 1039px" /></figure>



<p>今回は、「猫の紳士の物語」の紹介です。アメリカの女流作家メイ・サートンの小品で、実在の猫をモデルにした「紳士猫」が主役です。日本語版は1996年にみすず書房から出版されているけれど、原語版は1957年に出されているそうです。時折出てくる挿絵が秀逸。猫が「紳士顔」のままマタタビに酔っぱらったりおもちゃで遊んだり、何とも言えない情感があります。</p>



<p>主役の「紳士猫」は、お話では「毛皮の人」と呼ばれています。のちに、トム・ジョーンズという名をもらいますが、ママは「毛皮の人」という名前が気に入ったので、このまま「毛皮の人」と呼んでいきます。</p>



<p>二歳のころ、「毛皮の人」はそろそろ身を固めるべきだと思いました。身を固める？！どういう意味なんでしょう？「毛皮の人」は、ある男の子に命を救われ、飼い猫となります。でも、小さな男の子って、エネルギーに満ちてあふれていて、猫が相手をできる存在ではありません。少なくとも、理想的なハウスキーパーとは、「できれば庭付きの小さな家に住んでいる（そして屋根裏と地下室がある）中年独身女性」であることが常識の猫界では、やはり無理なのでしょう。</p>



<p>その男の子がしてくれる献身のお世話に愛想が尽きた「毛皮の人」は、家を出ました。でも、周りにいるのは紳士猫との交際のいろはすら知らない粗野な八百屋さんたちしかいません。食べ物をもらっているのに、なんてことを言うんでしょう！「毛皮の人」は、家主でも世話係でもある同居人（ハウスキーパー）を、体系的に探索し、常住の地を見つけて「身を固め」ようと思ったのです。</p>



<p>外の猫には厳しい世界があります。「縄張りのなかにあるものならすべて、重箱の隅をつつくように熟知していなければならない」し、「近所の乾物屋があのうまい鱈の頭や尻尾やらを放り出すときに、たまたま居合わせる時間も覚えなくてはならない」。「ばあさん連を説き伏せてミルクの皿や、たまにはクリームだって出させるすべも知らなくてはならない。しかもこれは決して捕まらないという条件付きで」。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" decoding="async" width="900" height="1200" src="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0928-4-900x1200.jpg" alt="" class="wp-image-1585" srcset="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0928-4-900x1200.jpg 900w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0928-4-480x640.jpg 480w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0928-4-768x1024.jpg 768w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0928-4-1152x1536.jpg 1152w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0928-4-1536x2048.jpg 1536w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0928-4-scaled.jpg 1920w" sizes="auto, (max-width: 900px) 100vw, 900px" /></figure>



<p>なかなか大変ですね。これも立派な猫の狩り。「無傷」で食べ物を得るためには、とても頭を使います。でもこれだけではありません。他の猫との競争にも、勝たなくてはならないんです。ある時、「毛皮の人」はその夢が現実になる瞬間（実際にはその直前まで）に出会います。でも、灰色の髪をした女性に優しく呼ばれたのは、別の猫。完璧な安息の地は、もうほかの猫のものだったのです。</p>



<p>悔しさを抑えて、「毛皮の人」は歌を歌います。すると、灰色の髪の女性が出てきました。でも、「毛皮の人」は紳士猫。まるっきり無関心を装って、背を向けて坐ります。「呼びかけられた時、筋肉を一つも動かさぬこと。あたかも聞こえなかったかのように」なんて、フランス料理の名前「○○の△△仕立て　～～を散らして」みたいな「紳士猫の掟」の第一戒に従います。</p>



<p>「早く家にお入りよ」と言って迎えてくれた女性でしたが、先ほどの猫とけんかになります。「毛皮の人」は悪態をついて再び夜の闇へ。「お前のミルクは酸っぱくなれ　お前の魚はケッタイな味になれ　お前の肉はヘンチキになれ」</p>



<p>んまあ。ゾーイとウーゴは絶対にこんな悪態は尽きません。でも、外ネコは、それだけ厳しい生活を強いられているんでしょう。ママは「毛皮の人」を責める気にはなれません。早くいいひと見つけて、身を固めて！</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" decoding="async" width="900" height="1200" src="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_1025-4-900x1200.jpg" alt="" class="wp-image-1586" srcset="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_1025-4-900x1200.jpg 900w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_1025-4-480x640.jpg 480w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_1025-4-768x1024.jpg 768w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_1025-4-1152x1536.jpg 1152w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_1025-4-1536x2048.jpg 1536w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_1025-4-scaled.jpg 1920w" sizes="auto, (max-width: 900px) 100vw, 900px" /></figure>



<p>「中年の独身女性のハウスキーパー」をさがす「毛皮の人」。次に迎えられた奥さんは、アパート暮らし。もちろん、お庭も屋根裏部屋も地下室もありません。風通しの悪い部屋のにおいをかぎ、嫌な予感がしましたが、ドアは閉じられていて逃げ道はありません。「毛皮の人」は背後から襲い掛かられ、不名誉にもキッチンへと引きずって、ごはんの乗っているお皿に前におろされたのです。紳士猫なのに！</p>



<p>紳士猫な「毛皮の人」、どんなにひもじくとも急がず、遠くからおもむろに食べ物に近づいてにおいを嗅ぎ、「結構」「まずまず」「我慢できなくはない」「話にならぬ」の判決を下す、という猫の掟に従って行動しようとしていたのに、猫の尊厳を無視するかのような奥さんのあしらい方に腹を立て、奥さんのことを「話にならぬ」認定します。</p>



<p>でも・・・。毛皮の人は逡巡します。紳士猫といったって、ナデナデしてほしいときはあるし、もしナデナデが気持ち良いいようならば、もっとしてほしいと思っているのに・・・。アパート暮らしの女性も、本当は「毛皮の人」にこのままいてもらいたいんです。猫と人間の息詰まる場面ですが、人間の男女の関係にも似ていますね。結論。この家はもう結構。「毛皮の人」は逃げ出します。想う人から想われず、想わぬ人から想われて。世の中ってうまくいかないね。</p>



<p>二人の親切なご婦人にも出会いました。二人はどうやら、「猫の言葉」がわかるようです。これは、話す言葉のことではありません。以前パパが<a href="https://koneko-harappa.net/2022/01/16/nekogo-no-nooto/" title="ポール・ギャリコの「猫語のノート」">ポール・ギャリコの「猫語のノート」</a>の記事にも書いてくれましたが、人間が猫と暮らしていると自然に受信できるようになる、猫の意思の表明のこと。猫が自分をじっと見つめて、まちがいなく猫がそう語りかけてくるその「声」のこと。猫はどうやら、「自分の声（猫の言葉）は人間にも問題なく通じているのはずだ」と思っているらしい、というのが、パパの意見です。</p>



<p>だから、パパが「猫語のノート」から抜き出した猫の言葉「あたしがしゃべっているときは/ちゃんと静かにして、聞いてよね。/あたしの言うことがわからないのは/あんたのせいよ。」とか「猫語がわからないなんて、/ゆるせない。/ほら、もっと/がんばりなさいってば。」とかを、「毛皮の人」も思っているのかもしれないし、そう思っているからこそ、「理想のハウスキーパーを体系的に追い求め」ているのかもしれません。</p>



<p>「猫の言葉」を理解するこのご婦人たちとの相性はどうだったのでしょうか。「毛皮の人」は身を固めることができたのでしょうか。「毛皮の人」は、十ある猫の掟を自分なりに並べ替えます。それは、尊厳と慎み、自由の象徴。そして、「毛皮の人」という名前にも、実はとても誇らしい意味が隠されていたことに、「毛皮の人」は気づきます。そして、もう一つ、掟を付け加えます。「人間にほんとうに愛されたとき、猫の紳士は毛皮の人となる」。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" decoding="async" width="1200" height="900" src="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_1058-4-1200x900.jpg" alt="" class="wp-image-1587" srcset="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_1058-4-1200x900.jpg 1200w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_1058-4-640x480.jpg 640w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_1058-4-768x576.jpg 768w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_1058-4-1536x1152.jpg 1536w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_1058-4-2048x1536.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></figure>



<p>ゾーイとウーゴが「毛皮の人」のように思索にふけるかどうかはわかりません。でも、「毛皮の人」の見を固める問題を愛する・愛されるの問題ととらえたとき、きっと、同じものを見て、パパとママに伝えてくれているのだと思いました。そうしていると、「毛皮の人」のように、ほんわかした気持ちに包まれて、眠たくなってしまうんでしょう。だから、「飼い猫」という新ジャンルは必要ない。そしてきっと、パパ、ママも「毛皮の人」。猫語、ちゃんと勉強しなくちゃね。そう考えていたら、ママも眠たくなってきちゃった。今日はこれで終わりにしよう。</p>



<h3 class="wp-block-heading" id="書籍情報">書籍情報</h3>



<p>猫の紳士の物語　メイ・サートン　みすず書房　1996年</p>


<p><iframe style="width:120px;height:240px;" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no" frameborder="0" src="https://rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?ref=tf_til&amp;t=konekoharappa-22&amp;m=amazon&amp;o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;IS1=1&amp;detail=1&amp;asins=4622047039&amp;linkId=8a9ce35023be6b73fd9d38aefa0f9ab8&amp;bc1=ffffff&amp;lt1=_top&amp;fc1=333333&amp;lc1=0066c0&amp;bg1=ffffff&amp;f=ifr"><br />
    </iframe></p>
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		<item>
		<title>猫を嫌いな人も読んで！～「猫が歩いた近現代」の紹介</title>
		<link>https://koneko-harappa.net/2022/02/15/neko-ga-aruita-kingendai/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[ママ]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 15 Feb 2022 10:30:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[エッセイ、小説など]]></category>
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					<description><![CDATA[こんにちは、ママです。今回は、「猫が歩いた近現代」の紹介です。先日「猫の世界史」という本を紹介しましたが、主にエジプトやヨーロッパにおける猫の歴史を扱ったものでした。「猫が歩いた近現代」は日本の明治時代以降に焦点を当てて [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p>こんにちは、ママです。今回は、「猫が歩いた近現代」の紹介です。先日<a href="https://koneko-harappa.net/2022/02/05/neko-no-sekaishi/" title="「猫の世界史」">「猫の世界史」</a>という本を紹介しましたが、主にエジプトやヨーロッパにおける猫の歴史を扱ったものでした。「猫が歩いた近現代」は日本の明治時代以降に焦点を当てて、猫と人間とのかかわりを紹介しています。</p>



<p>著者は、「猫なんて・・・」という人も「猫の歴史」を構成している一部だと言います。なぜなら、猫の歴史は、猫を鏡にした人間自身の歴史であるから。猫は人間の言葉で語ることができません。現在語られている「歴史」が、残された文字からひもとかれたことからもわかるように、人間の言葉で語ることができない猫が歴史の主体に置かれることは、不可能です。でも、現代は、猫を愛する人がたくさんいる一方で実験材料にされるなど、人間との関係は複雑になってきています。</p>



<p>この本では、あえて猫を歴史の主体に置くことで、猫にとって「近代」「現代」とは何であったのかを考えています。著者は、これは人間社会の写し鏡であるけれど、それと同時に、猫への好き嫌いという「分断」と、それに起因するトラブルの歴史から、現在存在している分断の中で様々な価値観を持つ人々がどう共生するかのヒントとしたい、としています。</p>



<p>猫がそんな力を持っているのかしら？ママは、きっと持っていると思います。なぜなら、これまでこのブログで映画や写真集、エッセイなどの記事を書く上で、猫の素晴らしさをこれでもかというほど感じてきたから。ただそこにいるだけの猫に、人はどれだけ救われてきたか、どれだけ愛を引き出されてきたか、わかるから。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" decoding="async" width="1200" height="675" src="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0043-1200x675.jpg" alt="" class="wp-image-1537" srcset="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0043-1200x675.jpg 1200w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0043-640x360.jpg 640w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0043-768x432.jpg 768w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0043-1536x864.jpg 1536w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0043-2048x1152.jpg 2048w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0043-120x68.jpg 120w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0043-160x90.jpg 160w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0043-320x180.jpg 320w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></figure>



<p>江戸時代から明治初期までの猫に対するイメージは、実にさまざまだったようです。歌川国芳や喜多川歌麿などが猫の浮世絵を描いていますが、歌麿は美人の添え物として猫を描き、国芳はそんな猫を擬人化したり、歌舞伎役者の顔を猫にしたりして、主役へと引き上げました。でも、それは猫そのものが受け入れられたのではなく、猫を擬人化した「見立て」が観客に受け入れられたからであると、著者は指摘しています。</p>



<p>江戸時代にはほかにも鼠除けの「猫絵」や招き猫が流行しましたが、これも「猫ブーム」だからではないそうです。もしそれらが猫の代替物だとしたら、猫そのものを大切にする人が出てきても不思議ではないですよね。つまり、国芳の奇想であったり、鼠除けや招福などの文脈であったりと、人間と猫のかかわりはこのころはまだ一面的であったようです。</p>



<p>日本では古来から、犬をけしかけて猫を襲わせたり、猫を守るために犬を打ったりといった形で、猫と犬の対比が描かれることが多かったようです。でも、一般的には犬の方が受け入れられていたよう。犬はわかりやすく、なつきやすく、猫は逆に化け猫のイメージが大きかったからのようです。けんかで傷ついて帰ってきた猫を博物学者の南方熊楠は汚いと言って蹴飛ばしたり、一般にも平気で投飛ばしていたりしていたそう。ママは胸がキリキリします。このような猫が、どのように主役になっていったのでしょうか。</p>



<p>ところで、日本で初めて猫を「猫かわいがり」したのは、誰でしょうか？それは、明治時代の小説家二葉亭四迷だそうです。四迷は、自分の猫は美醜に関わらずかわいいと抱きしめる。でも、その猫は強い野良猫の子を孕んでしまい、「猫の恋は精神的な恋愛ではない」と落ち込みます（何か分かる気も・・・）。その猫のお産の時には大騒ぎ、夜通し面倒を見て、「昨宵は猫の取揚げ爺さんをして到頭眠られなかつた」と満足げだったとか。</p>



<p>それなら現代の猫飼いさんにも当てはまりそうですが、四迷は、生まれた子猫の引き取り手を探すのに私立探偵を雇わんばかりで、ついには「猫に名なんぞを付けるは人間の繁文縟礼であつて、猫は名を呼ばれても決して喜ばない」とまで言い切ったそうです。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" decoding="async" width="1200" height="675" src="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0055-1200x675.jpg" alt="" class="wp-image-1538" srcset="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0055-1200x675.jpg 1200w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0055-640x360.jpg 640w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0055-768x432.jpg 768w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0055-1536x864.jpg 1536w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0055-2048x1152.jpg 2048w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0055-120x68.jpg 120w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0055-160x90.jpg 160w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0055-320x180.jpg 320w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></figure>



<p>す、すごい。現代の猫飼いさんよりも激しい「猫愛」ですね。でも、当時としては随分「先進的」な考え方だったそうですが。明治時代の「猫像」は、夏目漱石が猫を主人公にして描いた小説「吾輩は猫である」で決定的なものになりますが、家族の内情を暴く性悪猫として描かれるなど、近世以来の猫観も引きずっていたようです。</p>



<p>猫が人間の家庭に入り込んだのは、ペスト対策として猫の飼育が奨励されたからだそうです。これをきっかけに、猫の売買・輸入が始まりました。でも、ペストを媒介する鼠を「猫イラズ」で殺すようになって、猫の受難の時が訪れます。また、このころの男尊女卑の風潮と合わさって、猫の持つ神秘性が女性性を結び付けられました。</p>



<p>でも・・・、このころの風潮とは言うけれど、つい最近まで、猫や女性ってこうした見方をされていましたよね。男性は犬好き、女性は猫好き。それだけならばいいけれど、「犬は人間に忠実だから」、「猫は不気味でとらえどころがないから」といった、ネガティブな意味が、必ず含まれる。ママは子どものころから、ちょっと違和感があるというか、収まるべきところにうまく収まっていないような気がしていました。ただ、それが女性蔑視につながっていると気づくのにはずいぶん時間がかかりました。「当時」を生きていると、「違和感」の正体がなかなかわからないんですよね。</p>



<p>でも今は、猫はとっても愛くるしい動物。もちろん、犬も一緒。他の動物だって、愛すべき動物。ママはどんな動物も好きだし、パパも猫が大好きだし、インターネットを見ていても、猫の持つネガティブなイメージは随分となくなったような気がします。</p>



<p>その後は、猫の地位は上下を繰り返します。動物愛護団体の設立、動物病院の増加、戦争による猫供出、戦火による被害、引き揚げによる猫との別れ、公害の被害、動物実験の犠牲・・・。人間が中心の社会では、人間以外のものは人間の都合によって利用されてしまう。猫を愛する人間の作り出した社会の流れと、一度起きてしまったらだれにも止められない社会の流れの中で、猫の飼い主たちは苦悩し、流れに従い、一生の後悔を持ちました。</p>



<p>ママだったら、どうしただろう？供出させられる前に一緒にどこかに逃げます。内地へ引き揚げるのならば、絶対に二人を一緒に連れて行き、離しません。おなかがすいた誰かに食べられたりしないよう、一時もそばを離れないようにして、武器を使ってでも守ります。お金をかけてでも、安全なものを食べさせます。・・・と今ここで言っていても、実際の場面では流れに逆らえないかもしれません。身を切る思いで辛い選択をせざるを得ないかもしれません。つくづく、「猫はかわいがるもの、かわいいもの」という猫観の現代に生きているのは、幸せなのだと思います。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" decoding="async" width="1200" height="675" src="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0057-1200x675.jpg" alt="" class="wp-image-1539" srcset="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0057-1200x675.jpg 1200w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0057-640x360.jpg 640w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0057-768x432.jpg 768w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0057-1536x864.jpg 1536w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0057-2048x1152.jpg 2048w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0057-120x68.jpg 120w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0057-160x90.jpg 160w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0057-320x180.jpg 320w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></figure>



<p>現代は、猫は「猫かわいがり」されています。冬や暖かく、夏は涼しい部屋、気持ちいいベッド、質のいいごはんと新鮮なお水、大好きなおもちゃ、そして優しい飼い主。動物医療は進んで、猫の寿命は長くなってきています。動物の福祉のためにマイクロチップが義務化され、ペットショップでの生体販売にも最低日齢の規制ができました。</p>



<p>外猫も、TNR・地域猫活動や災害時の同行避難・同伴避難など、地域で見守る体制もできています。保護猫団体の多大な尽力で、殺処分される猫の数も大幅に減りました。でも、まだ外猫がいるのは事実。動物実験で使われてしまう猫がいるのもまた事実です。</p>



<p>人間の力や考え方のせめぎ合いで世相が変わってきたことを、「歴史」と言うならば、この後、猫は人間とともにどんな未来を歩むのでしょうか。この記事の初めに描いたように、著者は猫への好き嫌いという「分断」と、それに起因するトラブルの歴史をひもといて、猫嫌いの人とも共生するためのヒントとしていきたいと言っています。</p>



<p>そのためにまずママができることは、ゾーイとウーゴを変わらず愛し続けて、安全で幸せな生活を送らせてあげること。今もできる範囲で保護猫団体に寄付をしているけれど、それも続けていくこと。近所の地域猫に「頑張ってるね！」と温かいまなざしを注ぎ続けること。そのくらいしかできませんが、ママも含めいろいろな人たちの猫愛が作るムーブメントが猫好きさんを増やし、地球上のあらゆる猫たちにとって幸せな毎日をもたらしてあげられるようになるといいな、と願っています。</p>



<h3 class="wp-block-heading" id="書籍情報">書籍情報</h3>



<p>猫が歩いた近現代　真辺将之　吉川弘文館　2021年</p>


<p><iframe style="width:120px;height:240px;" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no" frameborder="0" src="https://rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?ref=tf_til&amp;t=konekoharappa-22&amp;m=amazon&amp;o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;IS1=1&amp;detail=1&amp;asins=4642083987&amp;linkId=aeb9646e011de84fd5c65cb59d0ea637&amp;bc1=ffffff&amp;lt1=_top&amp;fc1=333333&amp;lc1=0066c0&amp;bg1=ffffff&amp;f=ifr"><br />
    </iframe></p>



<p></p>
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		<title>三千世界の猫たちに感謝～「ネコ族の夜咄」の紹介</title>
		<link>https://koneko-harappa.net/2022/02/12/nekozoku-no-yobanashi/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[ママ]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 12 Feb 2022 10:30:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[エッセイ、小説など]]></category>
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					<description><![CDATA[こんにちは、ママです。今回は、「ネコ族の夜咄」の紹介です。ネコ族とはこの本で鼎談している3人の作家・イラストレーターの村松友視さん、小池真理子さん、南伸坊さんのこと。猫が大好きで、ネコ飼いさんの3人が、夜な夜な集まって猫 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p>こんにちは、ママです。今回は、「ネコ族の夜咄」の紹介です。ネコ族とはこの本で鼎談している3人の作家・イラストレーターの村松友視さん、小池真理子さん、南伸坊さんのこと。猫が大好きで、ネコ飼いさんの3人が、夜な夜な集まって猫談義をしている、という構成の本です。</p>



<p>この本の始まりは、スタンスの決定から。さすが、もの書きさんですね。単なるネコ自慢は抵抗がある。でも、「猫についての考察」なんていうのや学術的なのはまた違う。だから、そういうところに触れそうで触れないところ、とスタンスを決めて、猫とどういう風に関わってきたのか、から始めることになります。</p>



<p>猫を語るということは結局自分を語るということ。ママが語る立場に立ったら、ちょっと面はゆい感じもしますが（このブログで散々話しているのに）、人が話してくれるのはやっぱり聞きたいですね。猫が大好きなママは猫好きさんも好き。だから、共感したいのかも。気ままな3人は、これまでに飼っていた猫の気ままな様子を、至って気ままに話します。ゾーイ・ウーゴとの「運命の出会い」を経て今に至るママとはずいぶん違って面白い。</p>



<p>どちらの出会いにしても、人間は猫に征服される運命にあるということもわかりました。外ネコを家に入れるまでの猫対人間の駆け引きとか、母猫のおっぱいをもらっている子猫の中で、ドンクサイ子とどん欲な子を入れ替えて、平等に飲ませてあげようとしたり、結果仕事がなかなか進まなかったり・・・（笑）。初めは猫が嫌いだったのに、「猫は私の内臓です」なんて言うところまで猫好きになっちゃったり。やっぱり猫ってすごいです。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" decoding="async" width="1200" height="781" src="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0092-1200x781.jpg" alt="" class="wp-image-1519" srcset="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0092-1200x781.jpg 1200w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0092-640x417.jpg 640w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0092-768x500.jpg 768w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0092-1536x1000.jpg 1536w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0092-2048x1333.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></figure>



<p>でも、猫だって大変なんです。家には入りたいけれど、抱っこされるのはいや。また、自分が家に入れようとしても入らないけれど、奥さんがドアを開けた時には、家の中どころか布団まで一直線など、人によって態度を変える。猫と人との、息詰まる駆け引きです。きっと猫も、どうしたらより多く自分の願いを叶えられるか、慎重に相手との間合いや自分が許容できる範囲を見極めているんだと思います。見誤ったら、ごはんと引き換えに抱っこされちゃいますから。</p>



<p>外ネコを飼うことに、というか、入り浸らせることになった3人は、猫のトイレ談議にも花を咲かせます。外ネコはやっぱり、高くて手触りのいい紙砂なんかよりも、外で用を足して枯葉で後始末をするのが好きなよう。家にある「おもちゃのトイレ」では、「しきたりどおりにやっていられるか」と言わんばかりに、隠さなくなったそうです。ほんの少しだけ、トイレのヘリで砂をかく真似だけしてごまかしたり。</p>



<p>言われてみれば、ゾーイも不思議なことをします。我が家の寝室にあるトイレはゾーイとウーゴのお気に入りです。生成り色のカーテンのそばに置いてあるのですが、なぜか、ゾーイはウンチの後、カーテンで手を拭くんです。初めにそれに気づいたのはパパでした。そのカーテンはママが気に入って買ったもの（高くもないけれど、激安でもない）なので、パパは気にしてくれたのでしょうか、ママの反応を見ながら、遠慮がちに教えてくれました。</p>



<p>初めは「ええっ？」と思いましたが、パパに言われて見た時には、確かにトイレのヘリで砂をかく真似をして、実はカーテンで手を拭いていました。</p>



<p>ゾーイはウンチを隠しません。ウンチに絶対触らないだけではなく、トイレのヘリにはそもそも砂はありません。実は隠す気がゼロなのだと思います。それだけでは飽き足らず、ママのお気に入りのカーテンで手を拭くなんて！なんてきれい好きな子なんでしょう！なーんて言っている場合ではありませんが、我が家では定期的にカーテンをお洗濯しているので、まあいいとします。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" decoding="async" width="1200" height="675" src="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0059-1-1200x675.jpg" alt="" class="wp-image-1523" srcset="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0059-1-1200x675.jpg 1200w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0059-1-640x360.jpg 640w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0059-1-768x432.jpg 768w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0059-1-1536x864.jpg 1536w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0059-1-2048x1152.jpg 2048w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0059-1-120x68.jpg 120w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0059-1-160x90.jpg 160w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0059-1-320x180.jpg 320w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></figure>



<p>このお三方、ほかにも猫と対等に接しています。猫が失敗したところを囃し立てたり、毒蛾やゴキブリと格闘しているところを「人間にはあんな（虫の）動きはできないなあ」と見ていたり、肉球にガムテープをつけて踊るところを見ていたり、袋を頭からかぶせたり・・・。今読んでみると、結構ヒドイことしていますよね（笑）。</p>



<p>この本が上梓されたのは、20年以上前。当時はまだ猫に「猫まんま」と称して人間の食べ物をあげていたり、「外ネコ」が多かったり、獣医療も今ほど発達していなくてあきらめなければならない病気もたくさんありましたよね。災害が起きても「同行避難・同伴避難」なんて発想もありませんでした。今よりも猫と人間はドライな関係でいたような気がします。</p>



<p>先日の<a href="https://koneko-harappa.net/2022/02/06/rudoruhu-to-ippaiattena/" title="「ルドルフとイッパイアッテナ」">「ルドルフとイッパイアッテナ」</a>の記事にもあるように、イッパイアッテナは、アメリカに引っ越す飼い主から、「文字」という生きるすべを与えられて、野良猫にされてしまいます。「ルドルフとイッパイアッテナ」はいい映画であることは間違いないけれど、この部分は、ママは引っかかっていました（でも、この場面がなければあの映画は成り立ちませんが）。この「ネコ族の夜咄」の本が出た時代はまさに、この映画で描かれている時代と同じなのかもしれません。</p>



<p>それに比べ現在は、猫は「家族」や「子ども」という地位を獲得しています。先ほどの、猫が失敗したところを見ても、「猫も傷つくので、見なかったふりをしてあげましょう」と書いてあるインターネットの記事が多いですよね。それに、猫用カツオ節があったり、猫の健康保険があったり、療法食があったり、ペットショップにはキラキラ眩いほどに猫のおもちゃがあったりします。</p>



<p>「ルドルフとイッパイアッテナ」だって、現在ならば、猫を一緒に連れて行くか、もし健康上の理由などで不可能な場合には信頼できる人や家族などに猫を託し、最後まで安全に暮らさせてあげるようにしますよね。安全な生活は、猫の幸せですから（それだけではないけれど）。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" decoding="async" width="1200" height="674" src="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/IMG_2047-1200x674.jpg" alt="" class="wp-image-1521" srcset="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/IMG_2047-1200x674.jpg 1200w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/IMG_2047-640x360.jpg 640w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/IMG_2047-768x431.jpg 768w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/IMG_2047-1536x863.jpg 1536w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/IMG_2047-2048x1150.jpg 2048w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/IMG_2047-120x68.jpg 120w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/IMG_2047-160x90.jpg 160w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/IMG_2047-320x180.jpg 320w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></figure>



<p>ママはゾーイとウーゴにこの本に書いてあるようなことはしたことありませんが、「ネコ族」のお三方がこうしたことを臆せずに言っているのは、このように、その時代に存在していた「猫観」のせいもあるのでしょう。でも、根底にあるのは今と同じ、猫への愛情だと思います。猫の「自尊心」を尊重しありのままを受け入れているからこそ、テープを張っちゃうとか袋をかぶせちゃうとか「試練」を与えて、愛情をもって観察していたのかもしれません。</p>



<p>現在は猫にとってより簡単に生き抜ける時代になったけれど、「老い」や「死」は同じようにやってくるし、避けては通れないものです。ネコ族の面々も、猫を見送ったことがあります。この本の鼎談ではさらっと語っていますが、実際にはとてもいとおしく、切なく、辛い経験だったのではないかと思います。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" decoding="async" width="1200" height="675" src="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0004_1534497652105-1200x675.jpg" alt="" class="wp-image-1522" srcset="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0004_1534497652105-1200x675.jpg 1200w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0004_1534497652105-640x360.jpg 640w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0004_1534497652105-768x432.jpg 768w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0004_1534497652105-1536x864.jpg 1536w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0004_1534497652105-2048x1152.jpg 2048w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0004_1534497652105-120x68.jpg 120w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0004_1534497652105-160x90.jpg 160w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0004_1534497652105-320x180.jpg 320w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></figure>



<p>猫が死んで悲しいのは、自分の魂を輝かせてくれた猫がいなくなってしまう悲しみとさみしさもあるとは思いますが、「どうして猫はかわいいか」「猫は自分に何を与えてくれる（た）のか」という問いに十分な答えを見いだせないままお別れになってしまうからなのではないか、とこの本を読んで思いました。</p>



<p>でも、そんな問いに誰も答えなんか出せないと思います。答えを見つけるには、人間の一生も猫の一生も短かすぎる。猫が愛くるしいから、ひたむきに生きているから、純真無垢に自分を愛してくれるから、思いつくものはありますが、そういう答えではない「何か」があるのではないか、と思うのです。ネコ族の一人、小池真理子さんは、それを「宇宙の深淵」「生きることの意味」と呼びました。やっぱり、たどり着くにはあまりに壮大なのだと思います。</p>



<p>それでも、「失ったものは、飼い主の血肉となって生き生きと息づいている」と結んでもらえたのは、ママにとってささやかなやすらぎになりました。ママは、ゾーイとウーゴを愛し続けることしかできないし、問いに答えるための、経験のピースを積み上げ続けるしかないのだと思います。</p>



<p>それにしても、ネコ族とは、初めは猫が好きで猫を飼っているこの3人のことだと思っていましたが、もしかしたら、この3人も猫のように自由闊達・独立独歩だから、ネコ族なのかも。</p>



<h3 class="wp-block-heading" id="書籍情報">書籍情報</h3>



<p>ネコ族の夜咄　村松友視、小池真理子、南伸坊　清流出版　1999年</p>


<p><iframe style="width:120px;height:240px;" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no" frameborder="0" src="https://rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?ref=tf_til&#038;t=konekoharappa-22&#038;m=amazon&#038;o=9&#038;p=8&#038;l=as1&#038;IS1=1&#038;detail=1&#038;asins=4916028562&#038;linkId=2156cd9381af7424c305605d2d169f44&#038;bc1=ffffff&amp;lt1=_top&#038;fc1=333333&#038;lc1=0066c0&#038;bg1=ffffff&#038;f=ifr"><br />
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		<title>全国の小学生、頑張れ！～「ねことバイオリン」の紹介</title>
		<link>https://koneko-harappa.net/2022/02/10/neko-to-baiorin/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[ママ]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 10 Feb 2022 10:30:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[エッセイ、小説など]]></category>
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					<description><![CDATA[こんにちは、ママです。今回は児童向けのお話「ねことバイオリン」の紹介です。アメリカの童話作家タマラ・キットの作品で、原題を「少年と猫とバイオリン」と言います。日本語版は、大日本図書の「ゆかいな　ゆかいな　おはなし」シリー [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p>こんにちは、ママです。今回は児童向けのお話「ねことバイオリン」の紹介です。アメリカの童話作家タマラ・キットの作品で、原題を「少年と猫とバイオリン」と言います。日本語版は、大日本図書の「ゆかいな　ゆかいな　おはなし」シリーズとして1980年に出されています。このシリーズは、「ユーモアいっぱいで、家族や友人への愛情にあふれ、子どもの想像をどこまでも広げる作品を集めている」のだそうです。子どものみずみずしい感性で、どんな想像が膨らむのかしら？</p>



<p>小学校1・2年生向けに設定されていて、ほとんど漢字を使わずに書かれています。表表紙の裏には、「ひとりで　よみましょう」。子どもが、習いたての漢字を思い出しながら一文字ずつ追って読んでいく姿を想像すると、「頑張れ！」って思います。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" decoding="async" width="617" height="1200" src="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/MOV_3345_Moment-617x1200.jpg" alt="" class="wp-image-1499" srcset="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/MOV_3345_Moment-617x1200.jpg 617w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/MOV_3345_Moment-329x640.jpg 329w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/MOV_3345_Moment-768x1493.jpg 768w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/MOV_3345_Moment-790x1536.jpg 790w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/MOV_3345_Moment.jpg 898w" sizes="auto, (max-width: 617px) 100vw, 617px" /></figure>



<p>昔、小さい子にとある工作を教えたことがありました。おばあちゃんに連れられた女の子。まだはさみを思うように使えない年齢の子でした。未熟だったママは思わず手伝おうと手を出したのですが、その子は自分でやる、とばかりに工作を渡してくれませんでした。そこでママは、安全だけは注意して、あとは手順を教えながらその子の思うようにやらせてあげることにしました。</p>



<p>画用紙を線のとおりに折れず、はさみで切った後はぐちゃぐちゃで、完成した作品は初めママが思ったようには動かなかったのですが、その子はとても誇らしげで、そばで見ていたおばあちゃんも嬉しそうでした。ママは、完成品がどうであっても自分でやりとおすことって、こんなに大切なんだ、と気づかされました。その子の笑顔を見て、とてもうれしかったです。また、ママの心の動きがわかっていたのか、おばあちゃんの「ありがとう」という言葉にもいろいろな意味が込められているのがわかり、ママの方こそ感謝の気持ちでいっぱいになりました。</p>



<p>そんなママは、「ひとりで　よみましょう」と書いてあるのを見た時、一人で本と格闘している全国の小学生に、心からのエールを送りたくなったんです。</p>



<p>さて、お話はとても簡単。貧乏なきこりのおじいさんと男の子が暮らしていました。おじいさんは遠くへ行くため、男の子とお別れをしなければならなくなりました。連れて行ってあげられない男の子に、おじいさんは三つのものを残します。古いおの、おんぼろのバイオリン、そして片目の猫。「それで　きっと　おまえさんの　うんが　ひらけるだろう。」と言って、一人でどこかへ行ってしまいます。</p>



<p>役に立ちそうもない三つのものを残されて困った男の子は、自分も出ていこうとします。すると片目の猫が「あんたは　まだ、　なんにも　しりませんからね。」と言って、一緒に来てくれることに。淡々とした中に、猫の温かい愛情があふれます。子どもは、守るべき存在。作者のスタンスと、「ゆかいな　ゆかいな　おはなし」シリーズの姿勢が重なります。子どもは、守って、いつくしんで、見守る存在。</p>



<p>男の子は、行く先々で困難に出会います。そのたびに、片目の猫がおんぼろのバイオリンを使って解決してくれます。二人で力を合わせて困難に打ち勝つことだってあります。そんなことを繰り返すうち、二人は「もう、きっても　きれない　ともだち」になります。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" decoding="async" width="1200" height="900" src="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_3259-1200x900.jpg" alt="" class="wp-image-1504" srcset="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_3259-1200x900.jpg 1200w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_3259-640x480.jpg 640w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_3259-768x576.jpg 768w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_3259-1536x1152.jpg 1536w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_3259-2048x1536.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></figure>



<p>毎年お正月にはパパの実家に新年のご挨拶に行くのですが、ゾーイとウーゴはお留守番です。一泊させていただく時は正味24時間の不在になるので、ペットシッターさんに2回来てもらい、ごはんのお世話やトイレの掃除をお願いし、用意したおもちゃで遊んでもらいます。出かける時にママは「二人で力を合わせて、この難局を乗り切ってください」と出発のご挨拶をします。帰ったらすぐに「ちゅ～る」のごほうびをあげ、二人が満足するまで頭を撫でてあげます。ママも不在中は二人が恋しくて早く帰りたいので、家に着いたら感動の再会が繰り広げられます。</p>



<p>不在中、二人は力を合わせて難局を乗り切っているのかしら？こうした経験を通して、二人は「きっても　きれない」きょうだいになっているのかしら？二人で力を合わせるのが年1回だけだから、家でのお留守番は耐えられるからなのか、お留守番を通して絆が強くなったかどうかは分かりません。そもそも、普段の二人を見ていても、それほどくっついているわけではありません。追いかけっこでウーゴが興奮しすぎたりしつこくかまいすぎてゾーイを怒らせることもあります。</p>



<p>でも、最近は二人連れ立ってどこかへ行ってしまうこともあります。夕飯後そろって姿が見えないので探してみると、暗い寝室でそれぞれ思い思いにくつろいでいるんです。ごはんが食べたくなると、連れ立って居間にやってきます。食べたらまた、二人そろって寝室へ。くっついているわけではないけれど、一緒に行動するんです。ウーゴのために作ったベッドをゾーイが貸してもらっていることもあります。でも、みんなで寝るときはそのベッドはウーゴのもの。話し合いがついているようです。</p>



<p>以前、家ではなくペットホテルでお留守番をしてもらった時、大きなお部屋に二人一緒に入れてもらったのですが、じっと耐えているゾーイのそばで、トイレをひっくり返してその下に隠れてしまったウーゴ。家から持ってきたごはんを食べているゾーイの様子を見てホッとしたのか、ウーゴもごはんを食べて、ペットホテルの人を安心させたこともありました。ホテルだと二人に負担がかかってしまうのがわかったので、その後はホテルではなく、自宅でペットシッターさんにお願いするようになったのですが、あの時の経験は、本当に二人にとって「難局」だったと思います。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" decoding="async" width="1200" height="1151" src="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_3327-1200x1151.jpg" alt="" class="wp-image-1501" srcset="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_3327-1200x1151.jpg 1200w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_3327-640x614.jpg 640w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_3327-768x737.jpg 768w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_3327-1536x1474.jpg 1536w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_3327-2048x1965.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></figure>



<p>今の二人のあり方は、ウーゴが来た当初二人それぞれなじむのに苦労していたころに比べれば、大きな進歩。きっとこれまでに大きな難局と小さな難局がたくさんあって、そのたびに二人は力を合わせてきたんだと思います。だから、きっと、「きっても　きれない」きょうだい。</p>



<p>家の前は交通量のある道路なのですが、突然大きなエンジンの音や人の話し声がすると、二人で警戒態勢に入ります。今の時期、庭の椿の木にメジロやヒヨドリが来ると、二人そろって狩りをしようとします。お留守番もそうですが、きっとこんな日常のことでも、二人は力を合わせているんだと思います。だから、やっぱり、「きっても　きれない」きょうだい。</p>



<p>それにしても、この「ねことバイオリン」、どうして「猫」なんでしょうね？もし、これが犬だったら・・・？「ねえねえご主人様、どうしましょう？」って人間を頼る小型犬もいたり、「もしもの時はこのお酒を・・・。」なんていう山岳救助犬もいたり、「狩りをしますから、指示してくださいな。」なんていう猟犬もいたり、イメージが定まらないかもしれませんね。猫はその点描きやすいのかも。</p>



<p>この本を読む小学生は、どんな想像を膨らめるのでしょう。68ページもあるこの「大作」を、一人で読みきれるかしら？ママはこの本を読んで、想像というよりも、この記事に書いたようにたくさんのことを思い出しました。女の子の工作に対する姿勢に心がほっこりしたりゾーイとウーゴの成長に喜びを感じたり、いろいろな愛情にあふれる時間を持つことができたと思います。小さいお子さんがいる方、猫を飼っている方、ぜひ手に取ってみては？</p>



<h3 class="wp-block-heading" id="書籍情報">書籍情報</h3>



<p>猫とバイオリン　タマラ・キット　大日本図書　1980年</p>


<p><iframe style="width:120px;height:240px;" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no" frameborder="0" src="https://rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?ref=tf_til&#038;t=konekoharappa-22&#038;m=amazon&#038;o=9&#038;p=8&#038;l=as1&#038;IS1=1&#038;detail=1&#038;asins=447716775X&#038;linkId=87c5f6685b6c60342256a47a55cca1eb&#038;bc1=ffffff&amp;lt1=_top&#038;fc1=333333&#038;lc1=0066c0&#038;bg1=ffffff&#038;f=ifr"><br />
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		<title>猫についてもっとよく知ろう～「ネコの博物図鑑」の紹介</title>
		<link>https://koneko-harappa.net/2022/02/08/neko-no-hakubutsu-zukan/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[ママ]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 08 Feb 2022 10:30:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[エッセイ、小説など]]></category>
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					<description><![CDATA[こんにちは、ママです。ママは今日、お仕事部屋ではなく居間でお仕事をしています。居間にノートパソコンを持ち込んで、ソファーに足を投げ出して気ままにお仕事。気分転換になります。お仕事部屋でのお仕事の時には、同じようにそばにい [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p>こんにちは、ママです。ママは今日、お仕事部屋ではなく居間でお仕事をしています。居間にノートパソコンを持ち込んで、ソファーに足を投げ出して気ままにお仕事。気分転換になります。お仕事部屋でのお仕事の時には、同じようにそばにいてくれるのに、今日はゾーイとウーゴも居間のハンモックでくつろいでいます。どうしてママのいるところにいたがるんだろう？でも、とってもありがたいです。</p>



<p>今回は「ネコの博物図鑑」という本を紹介します。先日、古今東西の猫を芸術作品とともに紹介した<a href="https://koneko-harappa.net/2022/02/05/neko-no-sekaishi/" title="「猫の世界史」">「猫の世界史」</a>という本を紹介しましたが、「ネコの博物図鑑」はどちらかというと、猫の解剖学、生理学、生態、社会行動など科学的なアプローチから、猫と人とのかかわりや現代の猫にまつわる問題など、幅広く猫について扱っています。でも、どの項目も一般に猫を飼っている家庭が必要としている知識が網羅されていて、一冊手元に置いておくと安心な本です。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" decoding="async" width="1200" height="1198" src="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/IMG_1428-1200x1198.jpg" alt="" class="wp-image-1483" srcset="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/IMG_1428-1200x1198.jpg 1200w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/IMG_1428-640x640.jpg 640w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/IMG_1428-320x320.jpg 320w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/IMG_1428-768x767.jpg 768w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/IMG_1428-1536x1534.jpg 1536w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/IMG_1428-2048x2045.jpg 2048w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/IMG_1428-100x100.jpg 100w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/IMG_1428-150x150.jpg 150w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></figure>



<p>進化学的に見て、猫の祖先がイエネコにたどり着くまでに、進化学的な分岐点が7つほどあるようです。猫は、ユーラシア大陸―北米大陸間の移動の他、北米―南米大陸間の移動、ユーラシア大陸からアフリカ大陸への移動が主だったよう。長い時間をかけて、拡散していったのですね。その頃は、イエネコの祖先が生きていて、ゾーイやウーゴのような猫が移動していたわけではありませんが、猫がポチポチと歩きながら移動していったのかと想像すると、なんだか胸がきゅんとしてきます。</p>



<p>人間と出会ったのは、一万年ほど前、エジプトからメソポタミアにかけて広がる「肥沃な三日月地帯」で、だそうです。狩猟採集の生活から定住したときに、栽培した穀物を荒らすネズミを狩りさせるために一緒に住み始めたのが始まりだというのは、「猫の世界史」の記事でも書いた通り。その後、エジプトで神格化されたり、古代フェニキアやスカンジナビアで船に便乗したり、「エキサイティングな猫生」を送っていたようです。縞模様のパターンは、猫を運んだ航路と一致しているようです。我が家の二人には縞模様はありませんが、これから縞模様の猫を観たら、はるか昔に船旅をしてきた猫なんだなあと、尊敬の念で見ちゃいます。</p>



<p>解剖学と生理学の項目では、骨格や筋肉、皮膚や被毛、臓器や免疫、感覚器官などの一般的説明が載っているのですが、なぜそうなったのか、そうなったことによって何ができるのかに着目して、とても分かりやすく書かれています。また、写真がたくさん載っているのですが、どの写真もきれいでかわいい。ママはつい、写真の猫の愛くるしさや、手の先などの柔らかさに目が行ってしまいます。スケッチや図もわかりやすくて、すんなりと頭に入ってきます。</p>



<p>人とのかかわりについても、十分なページを割いて紹介しています。ママがここで気になったのは、「ネコは飼い主を本当に好きなのか」という小項目です。ドキッ。もし、「猫は飼い主のことは利用するだけ利用しつくして本当はな～んとも思っていない、悪の輩なんです」なんて書かれていたら、どうしよう。でも、心配することありませんでした。猫は、飼い主の声を聞き分けるし、強い愛着を持つ猫もいるんだそう。うんうん、それなら、ママ知ってる。ゾーイもウーゴもパパとママが特別って思っているから。よかった。ほっとしながら、次の項目へ。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" decoding="async" width="1200" height="800" src="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/IMG_1319-1200x800.jpg" alt="" class="wp-image-1484" srcset="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/IMG_1319-1200x800.jpg 1200w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/IMG_1319-640x427.jpg 640w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/IMG_1319-768x512.jpg 768w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/IMG_1319-1536x1024.jpg 1536w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/IMG_1319-2048x1365.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></figure>



<p>「現代のネコ」の章には、飼い猫の避妊・去勢のメリットや多頭飼いのはじめ方、猫との遊び方、問題行動の種類と解決策など、飼い主さんにとって役立つ情報が載っています。話には聞いていたけれどちょっと驚いたのが、猫にも認知症があるということ。人間のアルツハイマー病に似た疾患で、方向感覚や睡眠パターンが乱れたり、夜泣きをしたり怒りっぽくなったりするんだそうです。残念ながら治療方法はないそうですが、環境を整えてあげたり精神的に刺激をしてあげるなど、進行を遅らせるために飼い主ができることがあるそうです。</p>



<p>猫の認知症についての情報は、ほかの本ではあまり見たことがないので、とても助かります。実際にゾーイやウーゴが高齢で認知症になってしまったら、この本に書いてある以外の症状が出てくるのかもしれませんが、少なくとも飼い主がしてあげられることがあることだけはわかります。信頼できる獣医さんと一緒に、そういったことにも対応しよう、という心構えができました。</p>



<p>この本は、飼い猫以外の猫たちにもまなざしを向けています。最近身の回りでもよく聞くようになったTNR（Trap-Neuer-Return）と呼ばれる野良猫の去勢・避妊活動や猫の保護施設の役割についてもページを割いています。人間は古来から、獲物が豊富にいる場所に、猫という「熟練ハンター」を放ってきています。その結果、人間に捨てられた猫もいるけれど生粋の「野ネコ」もいます。そうしたことにどのように現代の私たちが向き合っていくのか、いまだ答えのない問いを突き付けています。</p>



<p>はるか昔を旅して人間の家と心に入り込んだ猫。そこから何世代も経て今ここにいるゾーイとウーゴ。かわいい二人はぬいぐるみなんかではなく、二人の体の中には、しっかりとした骨格としなやかな筋肉、精密な臓器とそれらすべてをつかさどる脳があって、絶妙なバランスを作り出して「生命」となっています。</p>



<p>そんな二人が、パパやママに向かってかわいい声で鳴いたり、丸い手でパパやママの注意を惹きます。頭を撫でてあげたらうっとりして目を閉じるし、遊びの時間には間合いをしっかりを見計らってボールをジャンピングキャッチします。こんなかわいい子たちが、こんなかわいいことをする子たちが、生身の存在としてパパとママのそばにいてくれるなんて、それは本当に「奇跡」としか言いようがありません。この本を読んでいると、「綿」ではない身体と「お味噌」が詰まっているわけではない脳に、感謝の気持ちでいっぱいになります。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" decoding="async" width="1200" height="900" src="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_2741-1200x900.jpg" alt="" class="wp-image-1485" srcset="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_2741-1200x900.jpg 1200w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_2741-640x480.jpg 640w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_2741-768x576.jpg 768w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_2741-1536x1152.jpg 1536w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_2741-2048x1536.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></figure>



<p>著者は、「猫は人間と同居するようになって以来、猫特有のシグナルを人間が理解できるように適応させてきたが、人間は猫ほど努力していない」と言います。でも、猫って、人間のこと、よくわかっているんですよね。本当に、どこを見ているんだろう、といつも不思議になります。猫がそうして努力してくれているのに、人間の行ってきた猫の社会的欲求に関しての研究知見は、十分に実用化されていない、と著者は指摘します。</p>



<p>今度は、人間の番なのかもしれません。人間が、ライフスタイルを猫と同居するように適応させれば、ママもゾーイとウーゴにストレスのない生活を送らせてあげることができるし、二人のことがもっとよくわかってもっと仲良くできるようになるかもしれません。飼い猫以外の猫たちだって、人間の工夫で今よりも幸せな生活が送れるようになるかもしれません。</p>



<p>今よりももっと充実した猫ライフが送れるなんて、そんなことあってもいいのかしら？何をどうやったらいいんだろう？この本を読んで、まずは猫のことをもっとよく知ることから始めよう。</p>



<h3 class="wp-block-heading" id="書籍情報">書籍情報</h3>



<p>ネコの博物図鑑　サラ・ブラウン　原書房　2020年</p>


<p><iframe style="width:120px;height:240px;" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no" frameborder="0" src="https://rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?ref=tf_til&amp;t=konekoharappa-22&amp;m=amazon&amp;o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;IS1=1&amp;detail=1&amp;asins=4562057858&amp;linkId=099861dbd2b2fb1ce2f81dbd68abdd4a&amp;bc1=ffffff&amp;lt1=_top&amp;fc1=333333&amp;lc1=0066c0&amp;bg1=ffffff&amp;f=ifr"><br />
    </iframe></p>
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		<title>猫ってどんな子？～「猫の世界史」の紹介</title>
		<link>https://koneko-harappa.net/2022/02/05/neko-no-sekaishi/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[ママ]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 05 Feb 2022 10:40:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[エッセイ、小説など]]></category>
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					<description><![CDATA[こんにちは、ママです。今回は、「猫の世界史」の紹介です。この本は、美術作品や文学を通して、猫がどのような存在だったのかを解き明かす「知の冒険」です。猫についてママが知っていることや、見た事・読んだことのある作品を取り上げ [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p>こんにちは、ママです。今回は、「猫の世界史」の紹介です。この本は、美術作品や文学を通して、猫がどのような存在だったのかを解き明かす「知の冒険」です。猫についてママが知っていることや、見た事・読んだことのある作品を取り上げながら、古今東西の猫について網羅的に書いてあり、嬉しくなります。</p>



<p>歴史上、猫ほど毀誉褒貶の激しい生き物はいないと思います。古代エジプトでは神格化されたかと思えば、中世ヨーロッパではたくさんの猫が悪魔の使いであるとして捕らえられて、殺されました。悪魔の使いだなんて、ひどいですよね。でも、「文化のせいで」と済ませるのは簡単ですが、ここには宗教観や人間観が深く根ざしていたので、そんなに簡単な話ではなかったようです。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" decoding="async" width="1200" height="900" src="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_1335-1200x900.jpg" alt="" class="wp-image-1459" srcset="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_1335-1200x900.jpg 1200w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_1335-640x480.jpg 640w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_1335-768x576.jpg 768w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_1335-1536x1152.jpg 1536w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_1335-2048x1536.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></figure>



<p>この本を読んでみると、猫には受難の時代が3回あったようです。一回目は、中世ヨーロッパで虐殺された時代、二回目は、キャットショーが隆盛を極めた19世紀後半、そして三回目は動物実験で猫が使われている今日・・・。すべて人間の都合です。例えば動物実験の是非はいろいろなところで言われているし、代替実験なども開発されているようですが、なかなか動物実験を完全停止できる状況にはならないようです。それに今は、適切な飼育がされないため、また、ペットの行き過ぎた商品化のため、新しい「受難」の時を迎えています・・・。</p>



<p>猫は、古代エジプトではすでに人に飼われていたようです。このときには、家で穀物を荒らすネズミを退治していたとのこと。その後猫は神性を持ち、女神バステトが猫の姿を取るようになったそうです。バステトは、猫の優雅な姿、雄を求める声、子育ての様子などと結びつき、豊穣の神や家の守り神となったのだそうです。</p>



<p>ちなみに、犬は人間の生活に合わせて変わっていったけれど、猫は人間に飼われるようになっても、やることは相変わらずネズミ取り。そのため、犬ほどの変化はないんだそう。変わったことと言えば、体が小さくなったこと、繁殖サイクルが早まったこと、そして、以前<a href="https://koneko-harappa.net/2022/01/14/neko-raion/" title="「ネコは小さなライオンだ～「ネコライオン」の紹介」">「ネコは小さなライオンだ～「ネコライオン」の紹介」</a>の記事にも書いた、成長しても幼さを残すようになったこと、などだそうです。</p>



<p>あれ？でも、猫ってとっても多くの種類がいるように思えるけれど・・・。これは、歴史的に自然交配しながら種類が増えていったのもありますが、キャットショーで血統を管理するようになったことも一因のようです。初めは、一定の色や形にバリエーションが保たれるように掛け合わせていったそうです。我が家のウーゴはアメリカンカール。耳が外側にくるりんとカールしています。これも、偶然見つけたこういう耳の猫から、必ず同じ形の耳の子猫が生まれるように、交配して固定した結果だと、何かで読んだことがあります。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" decoding="async" width="1200" height="900" src="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/IMG_2527-1200x900.jpg" alt="" class="wp-image-1460" srcset="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/IMG_2527-1200x900.jpg 1200w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/IMG_2527-640x480.jpg 640w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/IMG_2527-768x576.jpg 768w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/IMG_2527-1536x1152.jpg 1536w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/IMG_2527-2048x1536.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></figure>



<p>でも、人間は欲深い生き物。それだけでは満足できず、自然にもともと存在していたシャム猫を不自然に細い形にしたり、ペルシャ猫を過度に平たい顔にしたりしました。アメリカで以前最高賞を受賞した猫は、異様に細い体に巨大な耳、足、尻尾、首は不自然に長かったそうです。ペルシャだって、交配の結果、もともとあった敏捷性が失われているとのこと。キリスト教文化では、動物には理性も自由意思もないと思われてきたそうです。そのため、こうした人間の都合での交配や中世ヨーロッパでの大虐殺につながったのではないでしょうか。日本人は逆に、「自然のまま」であることを尊ぶ文化に生きています。ここまで来ると、やっぱり、猫の「受難」なのかしらと思ってしまいます。</p>



<p>さて、古代エジプトでは、猫はペットとしても大切にされてきたそうです。めでたいときには家族と喜びをともにし、猫が死んでしまったときには、驚くことに、喪にも服したそうです。現代の人間と猫との関係を彷彿とさせますね。ママだって、以前飼っていたシャム猫ちゃんを亡くしたときにはしばらく立ち直れなかったし、ゾーイとウーゴとの時間は、何よりも大切なものだと思っています。こうした気持ちと、喪に服す気持ちは同じなのではないかと思います。</p>



<p>また古代エジプトでは、猫には全くマイナスのイメージがなかったそうです。他の文化では、猫はなぜ「悪者」になることが多いのでしょうか？日本でも化け犬や化けネズミはいませんが、化け猫はいますよね。デズモンド・モリスの<a href="https://koneko-harappa.net/2022/02/01/naze-neko-ha-anata-wo-miruto-aoumuke-ni-korogarunoka/" title="「なぜ、猫はあなたを見ると仰向けに転がるのか？」">「なぜ、猫はあなたを見ると仰向けに転がるのか？」</a>や<a href="https://koneko-harappa.net/2022/01/30/neko-ni-choushouryoku-ha-aruka/" title="「猫に超能力はあるか」">「猫に超能力はあるか」</a>では、猫の足音を立てないところ、暗闇で目が光るところ、マイペースなところ、夜ソロソロと行動するところなどが、気味悪さと結び付いたとしています。</p>



<p>ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」では、まさにそんな猫の代表格である「チェシャ猫」が登場します。首だけで宙に浮いているなんていう不気味な表現もあります。でも、やっぱり猫ってかわいいよ。我が家のゾーイとウーゴは足音立てるし、暗闇で目が光ったら、「あ、いた！」ってうれしくなっちゃうし、マイペースさにふりまわされたら、「ン～、もう！」って思っちゃうし、夜はみんなでグーグー寝ます。それに、日本には、幸せやお金を呼んでくれるという誇るべき「招き猫」の文化があります。ママには、やっぱり猫が「悪者」なんて考えられません。</p>



<p>ところで、古代エジプトでは、猫はミウまたはミイといったそうです。これって、英語でニャーと言うときの「miaow」や「meow」というのと語源が同じなのでしょうか？この部分を読んで、以前フランスへ行ったときのことを思い出しました。泊まった民宿にいた猫の名前は「ミニュー」といったのですが、意味は「猫ちゃん」というような感じだということでした。フランス語が分からないママと英語が堪能ではない宿の女性の会話だったので、本当のところは分かりませんが、これも、ミウやミイという名前と同じ語源なのでしょうか？</p>



<p>ミウもミイも、「miaow」、「meow」、「ミニュー」も、かわいさ満点。こうした響きからは、猫が実は「悪者」として扱われていたなんて、到底想像できません。以前<a href="https://koneko-harappa.net/2022/01/21/ii-neko-mo-iruyo-1-shironeko/" title="絵本「白猫」">絵本「白猫」</a>を紹介しましたが、これは、もともとは17世紀のフランス宮廷で作られたおとぎ話です。このあたりからだんだんと、猫を趣味のいいペットとして描くことが始まったそうです。「白猫」のように優雅な貴婦人から、母性豊かな主婦猫まで、さまざまな切り口で猫が登場します。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" decoding="async" width="1200" height="675" src="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0021-1200x675.jpg" alt="" class="wp-image-1461" srcset="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0021-1200x675.jpg 1200w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0021-640x360.jpg 640w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0021-768x432.jpg 768w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0021-1536x864.jpg 1536w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0021-2048x1152.jpg 2048w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0021-120x68.jpg 120w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0021-160x90.jpg 160w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/02/DSC_0021-320x180.jpg 320w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></figure>



<p>貴婦人や主婦猫・・・。言われてみれば、猫はほとんどの場合、「女性」として描かれているなあ。猫が男性として描かれているのは、ヨーロッパの民話がもとになっている「長靴をはいた猫」や夏目漱石の「吾輩は猫である」くらいしかママは知りません。猫の鳴き声の可憐さ、体のしなやかさ、マイペースさが、「女性性」と結びついたのでしょうか。藤田嗣治も、「女性にひげと耳をつけたら猫になる」と言っています。そんなことで猫になれるならなりたい、とママは激しく思います（笑）。外見さえ整えれば、内面はすでに猫になっているということでしょうか。なんたる光栄。</p>



<p>この記事の初めに、ママは「猫ほど毀誉褒貶の激しい生き物はいない」と書きました。今後、猫はどのような未来をたどるのでしょうか。現代は、「ペットは家族」が定着し、大切に育てる人が増えました。その裏で、ペットを「もの」のように扱い、最後まで責任を持たない飼い主がいます。ペットショップやブリーダーでペットの「商品価値」がなくなると、悲惨な未来が待っていることが多いとも聞きます。また、野良猫として厳しい世界に身を置いている猫もいますが、「地域猫」として人間に世話されたり、「保護猫」として新しい家族に迎えられたりする猫もいます。</p>



<p>ママは、猫の幸せがずっと続くことを祈っています。願わくば、もう、猫が殺されたり飼育放棄されたりすることのないような世の中になることを。そして、出来れば、猫のかわいさ、素晴らしさをよりたくさんの方法で伝え合う文化が育ちますように。</p>



<h3 class="wp-block-heading" id="書籍情報">書籍情報</h3>



<p>猫の世界史　キャサリン・Ｍ・ロジャーズ　株式会社エクスナレッジ　2018年</p>


<p><iframe style="width:120px;height:240px;" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no" frameborder="0" src="https://rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?ref=tf_til&amp;t=konekoharappa-22&amp;m=amazon&amp;o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;IS1=1&amp;detail=1&amp;asins=4767824419&amp;linkId=ba01a1731ca366290b3bc5da8d16d3af&amp;bc1=ffffff&amp;lt1=_top&amp;fc1=333333&amp;lc1=0066c0&amp;bg1=ffffff&amp;f=ifr"><br />
    </iframe></p>
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		<title>すべての猫語学習者に最適！　ボール・ギャリコ『猫語のノート』</title>
		<link>https://koneko-harappa.net/2022/01/16/nekogo-no-nooto/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[パパ]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 16 Jan 2022 09:29:04 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[エッセイ、小説など]]></category>
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					<description><![CDATA[はじめまして、パパです。ママの記事の中にときどき登場するだけで、何も書いてなかったけれど、「パパも何か書いてよ」といわれるまでもなく、書いてみたいような気はしていました。 例えば、ずーっと昔に読んだ夏目漱石の『猫』こと『 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p>はじめまして、パパです。ママの記事の中にときどき登場するだけで、何も書いてなかったけれど、「パパも何か書いてよ」といわれるまでもなく、書いてみたいような気はしていました。</p>



<p>例えば、ずーっと昔に読んだ夏目漱石の『猫』こと『吾輩は猫である』とか、最近読んだ漫画の『まめねこ』（ねこまき・ミューズワーク、さくら舎）シリーズとか、気楽なタッチでオススメできるといいなと思ったりもしていました。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" decoding="async" width="1200" height="861" src="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/01/IMG_0533-1-1200x861.jpg" alt="" class="wp-image-1036" srcset="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/01/IMG_0533-1-1200x861.jpg 1200w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/01/IMG_0533-1-640x459.jpg 640w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/01/IMG_0533-1-768x551.jpg 768w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/01/IMG_0533-1-1536x1102.jpg 1536w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/01/IMG_0533-1-2048x1470.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></figure>



<p>一方で、すぐに何だかシリアスな方向へ文章が進んで行ってしまう自分の傾向を考えると、この「気楽なタッチ」というやつが「気楽じゃないなあ」と思って、何だかおっくうな気もしていました。</p>



<p>だから、唐突ながら、漱石の『こころ』の「奥さん」が、若い学生に向かって「議論はいやよ。よく男の方は議論だけなさるのね、面白そうに。空の盃でよくああ飽きずに献酬が出来ると思いますわ」というのは、ぐさっと刺さる指摘なんですよね。</p>



<p>「ことば」で掴まえて確かに所有しておきたい何かほど、あやふやで姿が変わって見えていく。</p>



<p>例えば、わかりやすいところで、「愛」。（もっとも『こころ』の大学生ほど若くもないパパは、さすがに「愛」は所有するものではないことくらい、わかってはいるつもりだけど…。）</p>



<p>多くの「猫飼い」さんがいうように、日々猫といると、ことばで何かを掴まえておくなんてことはどうでもよくなってくるような気がします。人間が気にする妙な心の中の手続きは、猫には無用。猫はそれで人間よりすんなりと生きている。</p>



<p>それでいいんじゃないかと思えてくる。それこそ、その感じはうまく「ことば」にはならないけれど…</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" decoding="async" width="1200" height="900" src="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/01/IMG_2426-1-1200x900.jpg" alt="" class="wp-image-1037" srcset="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/01/IMG_2426-1-1200x900.jpg 1200w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/01/IMG_2426-1-640x480.jpg 640w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/01/IMG_2426-1-768x576.jpg 768w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/01/IMG_2426-1-1536x1152.jpg 1536w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/01/IMG_2426-1-2048x1536.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></figure>



<p>「猫は人に懐かない、猫は家につく」と誰かに言われて真に受けていた若い頃のこと。</p>



<p>住んでいたアパートの周りをなわばりにしていた一匹のブチ猫が、学校や仕事から帰ってくる僕に関心を持ち、時々きまぐれに遊んでくれるようになった時の驚きと、その時々にその猫との間に感じる「友情空間」見たいなもの、それが僕の猫との関わりの原風景のひとつ。</p>



<p>だけど、これを、これ以上ことばであらわすのはむつかしい。</p>



<p>猫には、もちろん人間のことばは要らない。人間の発する「信号」のいくつかは理解していたとしても、賢い猫は、人間のことばはしゃべらない。が、しかし猫がことばを知っているとしたら、その内心のことばは、きっと今紹介しようとしている、ポール・ギャリコ著『猫語のノート』（ちくま文庫）の中にある詩のようなことばになるだろう。</p>



<p>そう思わせるような猫語のつぶやき。</p>



<p>ギャリコが猫にこっそり見せてもらった「猫が書いた猫語のノート」。そんな本です。ギャリコはママが紹介した小説<a href="https://koneko-harappa.net/2021/12/28/%e3%83%9d%e3%83%bc%e3%83%ab%e3%83%bb%e3%82%ae%e3%83%a3%e3%83%aa%e3%82%b3%e3%81%ae%e5%b0%8f%e8%aa%ac%e3%80%80%e3%80%8c%e3%82%b8%e3%82%a7%e3%83%8b%e3%82%a3%e3%80%8d%e3%81%ae%e7%b4%b9%e4%bb%8b/" title="『ジェニィ』">『ジェニィ』</a>の作者でもあります。</p>



<p>花は人知れずただ咲いていてそれ以上でも、それ以下でもない。それでもその姿をかいま見た人の中には、そこから花が美しいということの自然さを受け取る幸福を感じる人もいるだろう。ちょうどそんな花のように「猫」は日々を生活しているように見える。「まちがい」（“ERROR”）という詩や、「朝」（“MORNING”）という詩からは、今そこに生きてあるそんな猫の姿が目に浮かぶように表現されている。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" decoding="async" width="800" height="1200" src="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/01/IMG_1407-1-800x1200.jpg" alt="" class="wp-image-1038" srcset="https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/01/IMG_1407-1-800x1200.jpg 800w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/01/IMG_1407-1-427x640.jpg 427w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/01/IMG_1407-1-768x1152.jpg 768w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/01/IMG_1407-1-1024x1536.jpg 1024w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/01/IMG_1407-1-1365x2048.jpg 1365w, https://koneko-harappa.net/wp-content/uploads/2022/01/IMG_1407-1-scaled.jpg 1707w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" /></figure>



<p>また、たとえ猫が悪意を持つことがあったとしても、宝石が悪意なく輝くように、猫の「悪意」は悪意なく輝く宝石の輝きのようにただキラキラしている。「チョウチョ、だいすき」（“BUTTERFLIES WERE MADE TO PLAY WITH”）と題された詩の“PLAY”にはちょっと残酷な意味も含まれているけれど、悪意なく輝く宝石の輝きのようにキラキラする猫の「悪意」をうまく猫語（詩）で言いあらわしている。</p>



<p>「ドア」（“THE DOOR”）と「不幸のフェンス」（“MISERY’S FENCE”）は、小説家のカフカが「掟の門」で描こうとした人生の不条理を、猫語でカフカよりしなかやかに表現しているし、もしかすると猫語はその「不条理」をも、するりと抜け出してしまっているのかもしれない。</p>



<p>「いす」（“THE CHAIR”）という詩に出てくる断固たる意思の表明。</p>



<p>「これはあたしのいす。」</p>



<p>「でも、このいすは、あたしが選んだの。」</p>



<p>こういう意思の表明は、猫と暮らしていると自然に受信できるようになる。これを猫は「猫を世話している人間だけの特殊能力」と、猫の世話をする人間に何の違和感もなく感じさせる。猫が自分をじっと見つめていて、まちがいなく猫がそう語りかけている。その「声」は、よほど鈍感でないかぎり、その人の中に聞こえてくる。でもそれは猫の世話人だけに聞こえてくる特別な「声」。人はその特殊能力が自分にだけ与えられたという「勘違い」だけで満足して、喜んで椅子を猫に譲り渡す。うちの「ママ」も仕事をするときにたいていは、猫たちに椅子をゆずってバランスボールに腰掛けて、幸せそうに仕事をしている。</p>



<p>このように「猫語」は、猫語が聞こえる人に猫が話すためだけにあるのであって、人が猫に話すためにあるではないようだ。最も、人間のことばはもともと「空っぽ」なのだから、そんなものが猫に届かなくても悲嘆することはないだろう。</p>



<p>「ことば」（“SPEECH”）という猫語（詩）では、そのことを思い知らされる。</p>



<p>「あたしがしゃべっているときは/ちゃんと静かにして、聞いてよね。/あたしの言うことがわからないのは/あんたのせいよ。」</p>



<p>「猫語がわからないなんて、/ゆるせない。/ほら、もっと/がんばりなさいってば。」</p>



<p>パパは、この本をすべての猫語の学習者に贈呈したいと思うほどですが、そこまではできないので、熱烈推奨します。いかが…。</p>



<h3 class="wp-block-heading" id="書籍情報">書籍情報</h3>



<p>猫語のノート　ポール・ギャリコ　ちくま文庫　2016年</p>


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